「言葉はこうして生き残った」を読んで
岡山大学で近いうちに著者の河野通和さんの講演があると聞き、かねてより読みたいと思っていた本書を手に取りました。
前半の1〜4章を読み、そして講演の日をちょうど挟むようにして後半の5〜7章を読みました。
講演のはじめ、本書を紹介するなかで、司会を務められた文化人類学者の松村圭一郎さんと河野さんの間に、次のようなやり取りがありました。
「河野さんは涙もろい方なんですか?」
「涙もろいかはわかりませんが、感激屋であることはたしかですね」
「そうですよね、感激している様子がこの本からとてもよく伝わってきました」
私には、その会話があまりピンときませんでした。4章までを読んだ本書からは、感激屋であるという河野さんの人物像はとても見えてきていなかったからです。
とても冷静に、ていねいに書かれた、シンプルな文章だという印象を受けていました。装丁のとおり、真っ白で触り心地の良い、そして美しい明朝体で描かれた、編集者らしい、きちんとした文章だという印象です。
しかし、講演を終え、5章以降に取りかかった私は衝撃を受けました。たしかに、ていねいにしっかりと書かれた文章であります。私たちが普段「すごい」「面白い」さらには「やばい」というような言葉で片付けてしまう「感激」の情が、ここではていねいにていねいに語られているのでした。ひとつひとつの事柄をひとつひとつしっかりと拾い上げて語っているのだということがわかります。よくよく見ると、私には到底思いもつかないような豊富な比喩や語彙で形容が溢れている。それでいて、文章全体を読んでいると、それらが自分の語彙にない、なかなか目にしない言葉であると感じさせるような浮いた感は全く無く、シンプルな文章だと感じさせるのです。
この人はたしかに、とてつもなく感激している。後半を読み始めて、初めてそのことに気づきました。
本書は、著者が新潮社の雑誌「考える人」の編集長として配信したメールマガジンの一部をまとめたものです。筆者が勤めた中央公論社(現在の中央公論新社)と新潮社の創業者に始まり、ある古本屋の店主や詩人、スピーチをする政治家などあらゆる人々の言葉が紹介されます。
彼らの言葉はどれも「生きる」ということと、とても近いところにありました。
社の命運を賭けた重要な場面で生み出された言葉、異なる地を行き来するなかで自分を保つために二つの言葉を行き来する形で翻訳された言葉、人生の終わりに近づき、その核となる経験を紡いだ言葉、そして親や師のそれを聞き取り、書き出された言葉…
彼らは生きるために言葉を話し、書き、そしてまた言葉を生きさせるために生きたのだと、そう思わずにはいられませんでした。
そして、それらの言葉を受け取り、ここに書き出だした河野さんもまた、その意思を継いでいるように感じました。
「言葉はこうして生き残った」という、ともすれば大げさに聞こえるようなタイトルが、今は本書の内容に伴う、重みがあり、堂々たるこれ以上ないタイトルだと感じられます。単にシンプルに見えた真白な表紙も、その内容の重さを湛えた上での白だと感じる。
講演中に河野さんが仰られた「一言が重大な意味を持つ場面がある」ということ、「武器(人を傷つけるもの)ともなる言葉をきちんと扱わなければならない」ということが本文を読むなかで実感を伴って思い出されます。講演中、「考える人」の姿勢を話すなかで示された「自分の頭で考える」という言葉は、本書の第1章のなかに選出されたあるメールマガジンの題でもありますが、この言葉を頭に置きながら読む、ハンナ・アーレントの「悪の陳腐さ」という言葉には胸を打たれざるを得ません。
本書を読むなかで、私は頭をがつんと殴られたかのように感じました。言葉が好き、文章が好きと言いながら、私は何処かで「言葉」というものを舐めていた。簡単に扱える道具のように思っていました。定型にこだわって表面だけを整えた文章や、感情を言い表しきることを諦めて壮大な印象を与えるだけの陳腐な表現を使った文章ばかりを書いているように思いました。
もっともっと自分の生に向き合い、そして言葉と向き合い、時には戦って、言葉を生み続けなければならない。語り続け、書き続けなければならないと感じました。