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読書感想文の回「ミライの源氏物語」

2023年12月3日(日)

瞬間停電というワードがトレンド入りしてましたが、それはここら辺で起こってることのようですね。
確かに我が家も何度かチカっと電気が一瞬消えてすぐつくみたいなのが何回かありました。
そして、ピカッからドーンまでの時間がめちゃくちゃ短い雷が…。
あれはきっとどこかに落ちましたね…
冬の始まり感…半端ありません。
新潟の冬は雷と共に始まるんですよね。
いやだいやだ。

さて、今日こそ書こうと思います。
読書感想文…ちょっと時間が経っちゃたので読了直後のあの熱さはないかもしれませんが、私の中では今年読んだ本の中でもかなり上位に来るくらい面白かった本…「ミライの源氏物語」の読書感想文…書いてみましょう。


「ミライの源氏物語」山崎ナオコーラ著 を読んで

まず、源氏物語…平安時代に書かれた超有名なお話ですよね。古文の時間にみんな一度は読んでいるはずのあれです。
「いずれの御時にか…」で始まるあの古文です。
で、皆さん古文…理解できますか(笑)?
私は国語は苦手科目ではなかったものの、古文や漢文は嫌いでした(笑)嫌いなので苦手でした(笑)
でも、唯一楽しめたのが「源氏物語」だったんです。
それはなぜかと言いますと…
大和和紀さんの「あさきゆめみし」という漫画が大好きだったからです。
「あさきゆめみし」は源氏物語を漫画化したものなんですが、どれだけ忠実に描かれているのかは原文をちゃんと読めない私には検証のしようがないのですが、きっとかなり忠実に描かれたと思われます。
というのも、授業やその他の本などで源氏物語のことが語られている時、ほぼ全部わかったから…どのシーンのことで誰の話なのか分かるんです。
だから、授業も古文自体を読み解くことができなくてもあのシーンのことだなって大体わかったんです。登場人物のことなどがわかるだけで授業はとても楽しかったもんです。

という浅い知識ではありますが、おかげでこの本もとても楽しく読むことができました。

まず、主人公の光源氏…この人、本当にいわゆるプレイボーイというか、恋多き?というんですかね、昔なので一人の男の人に対して妻と言えるような立場の人が何人もいたんですよね。まぁあちこち女の人に手を出すんです(笑)それって今なら犯罪じゃね?ってレベルも。そして、その彼女たちの気持ちを思うとなんとも許せない気持ちになったり…

それを作者であるナオコーラさんがズバリ指摘してくれてるんです。
なんか、純文学を通り越した1000年以上前に書かれた教科書に載るような文学なので、あまりこういう視点から語られることってなかったと思うんです。いや、あったのかわかりませんが私は初めて読んだので、もう、首がもげそうなくらい頷きながら読んでいました(笑)。

ただ、ナオコーラさんは決して否定もしてないし、それを責めているわけでもなく、ただ自分はそう思ってそう解釈してこう考えた…みたいなことを書いているだけなんですね。今だからこそ、こう思うし、こう考えるけど、平安時代の人が読んでも同じ風に思わなくて当たり前。言葉の解釈というのは時代時代で変わって当たり前で、源氏物語をいろんな人が現代語訳しているけれど、時代時代で受け継がれてきた解釈があって、いろんな解釈の仕方があって当たり前なんですってことを言っているんです。
なるほど。
しかも私、知らなかったんですが、「光源氏」や「紫の上」「葵の上」などなどの名前ってそもそも原文には出てきてなくて、言葉遣いなどで立場や誰のことを言っているのかが読み解くことができたと言うのです。名前は後世の読者が都合上呼び名があった方がいいとのことで、通称的に呼ばれるようになったそうです。
つまり、その時代より後の人が解釈して伝えてきたもので、今現在の私たちがどう感じてどう伝えるのか…ミライという言葉の中にはもちろん平安時代から見た現在がミライということもあるけれども、これから先に源氏物語を読むであろうミライの人に、今現在ナオコーラさんが解釈して感じたことを伝えることも大事であろう…そういう意味が込められているそうです。(多分)
面白いですね~。
言葉ってホントどういう風にも解釈できますもんね。

この本、原文をナオコーラ訳としていくつか訳されている文もあるのですが、ほとんどがナオコーラさんが思ったこと感じたことの解説や考察というか問題提起というか…そういう事なんです。
それが本当に面白くて…

まず、各章のタイトルなんですが、それぞれ登場人物に対してタイトルがついていて…例えば「ルッキズム」という言葉が「末摘花」の上についていたり、「紫の上」には「ロリコン」など。
なるほど鼻が赤い末摘花は確かに美人ではないように描かれています。容姿差別をするような表現はないものの、末摘花は漫画でも一番不美人に描かれていましたし、ナオコーラさんが取り上げていたシーンは光源氏と紫の上がふざけているシーン…光源氏が鼻の頭を赤く塗って二人でキャッキャ言うシーンなのですが、昔の人は位の高い人に気持ちを寄せて読むのでしょうからふざけ合うシーンを楽しく読んでいたでしょうが、現代の私たちは「ネタ」にされている末摘花に気持ちを寄せてしまいますよね…いないところでバカにされているのってどうなん?みたいに。そんな感じで「ルッキズム」の問題について考察されていました。当時は不美人でも幸せなヒロインとして描かれていたようですが、容姿差別に厳しい現代ではこれを幸せと捉えるのは難しいのでは?というナオコーラさんの解釈。確かに…と頷くばかり。
さて、今より先のミライの人はどう読みどう感じるのでしょうね。

紫の上の章…「ロリコン」これも漫画を読みながら違和感は感じていました。子供の頃から光源氏が育てて自分好みの女性になるようにして、結局わずか14歳の頃に性行為を強要してそのまま結婚…今だったら犯罪ですよね。この時の光源氏は22歳ですから。
でもそれはあくまで現在だからそう思うのであって、昔の人はそういうもんだくらいの気持ちで読んでいたでしょう。ただ時代が違えど14歳で性行為というのは紫の上にしてみたらさぞ怖かったと思います。
この章で「性交同意年齢」(同意能力があると見なされる年齢)という言葉が出てくるのですが、各国においてその年齢がかなり違うそうで…日本はなんと13歳なんですって!ちなみにアメリカでは16~18歳(州によって違う)イギリス・カナダ・韓国では16歳、フランス・スウェーデンでは15歳…日本ダントツで低いんです。つまり、性犯罪が成立するかの基準となるこの「性交同意年齢」ですから…うーーーん、これはちょっと色々考えますよね。
別の章では「性暴力」についても考察されています。
「源氏物語」からまさかそんな問題を考えることになるとは…

その他にも「マザコン」「貧困問題」「産んだ子供を育てられない」「エイジズム」などなど、さまざまな問題を提起しながら読み解いていて、本当に興味深いと言う意味で面白かったです。

ナオコーラさん…性別を公表していないのですが(子供を出産されているので身体的には女性なのですが)そのせいもあって、本文の中でも「女性」「男性」といった言葉を使わないんです。ご自分で「ノンバイナリー」という言葉を使っていらっしゃいました。性別の区分けを気にしないでいたい人のことだそうです。なので、本文では「その性別に属する人」とか「ヒロインの性別だと…」みたいな言い方をしていて、それも興味深かったですね。
ナオコーラさんは性別を二元論とする区分けすることに違和感を覚えているようで、性別感覚も十人十色だと。現在はLGBTQ+という言葉がだいぶなじんできましたが、昔だってそういう人はいたはずだと。昔の方が型にはめてそれに準じた行動や考えを持たないとならなかっただろうから、声に出して言うことができなかったので「源氏物語」にもそういう描写をされている登場人物はいない…でも描かれていないだけ。今ならその時代よりは声に出して言いやすい時代になったし、この先のミライの人たちもその辺をどう感じて「源氏物語」を読むのか…それを投げかける意味でもナオコーラさんのこの本が形として残るのは面白いですね。言葉は永遠ですからね。

そして、私、実は源氏物語の最終章に当たるいわゆる「宇治十帖」は読んでないんです。「あさきゆめみし」にももちろんそれに当たるのはあるのですが、光源氏が亡くなった時点でなんとなく興味が薄れてしまったんでしょう…読んでないんです。今なら読みたい…この本を読んでますます読みたくなってます。
「源氏物語」の終わり方って尻切れトンボ的な終わり方をしているんですね。なので、未完なのではないか?とか紫式部じゃない人が書いているんじゃないか?とか諸説あるそうなのですが、ナオコーラさんは最後まで紫式部のよって書かれ完結していると考えているそうです。
光源氏の恋の冒険の話は確かに面白いけれども、愛されたら愛し返さなくてはならない…など現代の読者には納得できないところがあって、これで良しとはならないんですよね…紫式部もそうだったんじゃないか?と。
だから最後は浮舟という女性が恋愛から逃れるような形で出家してしまうと言う終わり方をしたのではないか?と。それを薫(宇治十帖の主人公の1人ですね)はそんなことを理解できず、他に男がいるんじゃないか?と疑うんです。それしか考えが及ばないんですよね。全てを男と女の恋愛という形でしか考えられないんです…実は「恋愛」とは別の違う理由があることを想像すらできないんです。当時は恋愛をしない選択ができなかったので出家するしかなかったんです。浮舟がなぜ恋愛から逃げたかったか…その理由もナオコーラさんの文章を読んで納得。(だから「宇治十帖」を読みたくなったのですが…)
それがナオコーラさんは「源氏物語」らしい終わり方だと。
恋愛に絡んだエピソードがずっと続いてきて、最後はその「恋愛」を超えたものを書く意欲が沸いてきて当然だろう…と。
そして、現在は「恋愛をしない」という選択が出家などせずにできるようになりましたし、ミライでは今では想像もできないような選択肢が会って更に自由な人生が築けるようになっているでしょう…と。

あーー、いろいろ書ききれないくらい考えました。全然上手く言いたいことを言えた気がしません。ホント、文章力が足りない…ツライ…
まだまだ思ったことはたくさんあるんです。
ナオコーラさんの解釈とそこから広げる問題提起などなど、とにかく引き込まれました。そしてこれをミライに伝えて行こうというその意図…
「源氏物語」をナオコーラ訳として面白おかしく書いているだけなのかと思っていたら、全然違いました。とにかくめちゃくちゃ面白かったです。
「源氏物語」を読んだことがない人が読んでも面白いと思いますし、これを読んだら読みたくなると思います。あ、私も原文や現代語訳をちゃんと読んだわけではないので、その辺に抵抗のある人は「あさきゆめみし」を読んでみるのもいいと思います。私は「あさきゆめみし」の「宇治十帖」を読もうと思います(笑)

では、また明日。

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