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本当の基地被害ってナニ?根っこを探す。2015.7.11→2020.7.1
慰霊の日に考える ほんとうの基地被害とは
慰霊の日の夜中に、Choose Life Project配信のオンライン番組「6月23日沖縄慰霊の日を考える #忘れないオキナワ 」を観た。出演者の方々の話には、共感できることあり、勉強になることもあり、違和感もありで、いろいろ考えさせられた。
2時間ほどの番組の中で、ドキュメンタリー映画監督の三上智恵さんの言葉がキモだなぁと思ったので、書き起こした。(57分あたりから)
「基地の被害っていうのは、いわゆる事件事故、騒音や汚染っていう風に全国の人が勘違いしてしまっていると私は思うんですね。でも本当の基地の被害っていうのは、有事になったら攻撃対象になるっていうことなんですよ。事件や事故とかは、減らすとかあんまり増やさないとかいう努力ができるかのように思うものですが、でもアメリカが日本の承諾も得ないでどこかの国と戦争した時に、返す刀で、アメリカ軍基地があるところは攻撃をされます。
(中略)
辺野古から出ていけば、辺野古が攻撃対象になる。これは、騒音とか事件や事故っていうのとまた別レベルで、避けようがないですよね。そこまで覚悟して、他の国の基地を置いているのかということに直面しているのが、沖縄っていう島なんですよね。」
宮古島でも、陸自のミサイル基地建設の問題を、最初の2年ほどは地下水問題で闘ってきたけど、ある時私が三上さんに「これからは島が標的にされるっていう本題で闘わないといけないんじゃないかと思う」と言ったら、「最初からそう言ってたでしょう!」と叱られたのだった…。
反対運動をする側は、基地問題の本質を分かっていたとしても、なるべく多くの市民の理解を得たいから、安全保障論よりは民主主義の問題、環境問題、手続き論…というように、市民に受け入れられやすい問題の方に視点がずれていく。そうしているうちに、だんだん基地問題の本質を見失っていく。
もし沖縄の米軍が「環境問題しっかり取り組みます!汚染物質流しません」「事件事故防止のため軍人は街を出歩かせないようにします!」「戦闘機も全部新品にして新しいものにして墜落もしません!」となったとして(ありえないけど)、県民は安心して暮らせるかと考えてみたら、やっぱり不安は消えない。有事に標的になる危険性だけは、どうやっても取り除けない。だから、やっぱりそこが問題の本質なんだなぁと。
基地があるということは、大きな爆弾を抱えているようなものだ。(実際、弾薬庫と隣り合わせの暮らしがここにある)
実際に日々起こる基地被害としては、事件事故や環境問題が目の前にあって、有事の際に攻撃される被害って、最後に来る被害ということになる。それが起こったら終わりなんだけど。
そして、それはそんなに度々起こるものでもない。だから一番重要なことなのに見落とされていく。
原点にある問題は、たとえ言ってもなにも変わらないとしても、みんなも自分も忘れないように言い続けないといけないんだと思う。
デニー知事の言う「住民合意のない強行配備は反対」というのも、住民合意があったらいいのかと、私は思ってしまう。住民合意のある基地配備があるとすれば、それは全島民玉砕覚悟の合意ですかってことになる。
基地被害の本質に目を向けたら、県外移設論とか出てこないのかなって思う。
基地は経済の阻害要因という言い方もされて、9.11の時は沖縄から観光客がいなくなり、修学旅行もキャンセルになり、大きな経済的打撃を受けた。でもそれも基地被害の本丸ではない。それで済んでまだ良かったねという話で、なぜ旅行がキャンセルになったかといえば、米軍基地のある沖縄が攻撃される可能性があったから。本当の最悪の被害はそこにある。
沖縄の人たちは、肌感覚でそれがわかっていると思う。沖縄戦があったから。
沖縄の戦争は終わっていないし、基地がなくなるまで終わらないだろう。
5年前の想い なぜ基地が嫌なのか
5年前、2015年7月、宮古島にミサイル基地配備計画が持ち上がったばかりの頃。一番最初に私が基地は嫌だと思った理由は、こんなにシンプルなものだった。
・・・・・・・・
ここに基地が来ることを想像しました。
一番に思い浮かんだのは、子どもたちが戦闘機が飛んでいるのを見て喜んでいる姿です。普段から飛行機を見れば喜んでいる子達です。戦隊もののテレビも大好きです。
だけど、本当に戦うための飛行機が飛んでいるのを毎日見るって考えたら、本当に怖くなりました。
どこかに敵がいて、戦いにいく、それを普通だと思って育っていくのか...
なぜ自衛隊配備に反対するのですか?って聞かれることもあります。
いろいろ理由はあげることができます。
だけど、一番は生理的に、本能的に嫌なんだと思います。
子どもには、保育園のお友達で強い子にやられないようにあなたもいつもやりかえせるように準備しておきなさい、なんて教えませんよね。仲良くするんだよって教えますよね。
だけど基地が来てこの状況をどう教えるのか、想像できません。
ごまかして教えるのか...
ちゃんと教えるのか...
あれは中国や韓国や北朝鮮が攻めてきたらいつでもやり返せるように、毎日訓練してるんだよって教えるの?
そうしたら子どもは中国や韓国や北朝鮮の人たちは悪い人たちなんだと思います。
米軍基地ともまた違います。
自衛隊基地だったら、自分の国がやっていることとして教えなければならなくなるのです。
そんなことまで想像できるから、嫌なんです。
軍事が暮らしに入り込む 子ども達にほんとうの「大丈夫」を
5年たった今、島では普通に街中で、軍事車輛を見るようになった。信号待ちをしていれば、前に幅の広い装甲車が止まる。郵便局にも、迷彩服の自衛隊員。小さな空港が、軍服とカーキ色のリュックで埋め尽くされることもある。
こういう景色を見ると、5年前に想像していたざわっとする気持ちが蘇ってくる。
暮らしのなかに、少しずつ軍事が入り込んできている。やっぱり軍事と生活って、相容れない。
そしてこのざわつきは、基地があれば攻撃されるかもしれないという予感と、暮らしの場が戦場になるかもしれないという不安を内包しているのかもしれない。
だから、私たちは基地の存在に慣れることはできないし、諦めるということもまた、できないのだ。
小さかった子どもたちも小学生になり、基地が来てこの状況をどう教えるのかと想像していたことが目の前の現実になった。
軍事基地の説明は、ほんとうにそのまま正直に説明すると、すごく子どもを傷付ける説明になってしまう。
特に小学1年生の次男は、基地の存在をとても気にしていて、「宮古島にミサイルあるの?」「今日発射する?いつ発射するの?」「いつ戦争始まるの?」と不安気に聞いてくる。
誤魔化したくなる。本当のことを言うと、子どもが恐怖を感じてしまうから。
「大丈夫、そんなのないよ」と答えたい。
でも、真っ赤な嘘でごまかすことが、子どものためになるかは分からない。知ることも大切。
子どもを傷付けずに真実を知らせることが難しい、それが軍事基地なのだ。
「ミサイルの車輌はあるけど、ミサイルはまだ入ってないよ。だから、戦争にならないように、弾薬庫をつくらないで!ミサイルをもってこないで!ってママ達は言ってるよ。選挙でもミサイルに反対の人を応援するよ。だから大丈夫。がんばるからね。」
たぶん、私の答えは子どもの心に不安を残しているだろう。
でもこれが、いま私に言える精一杯…。
子どもに問われて、大人の私は、困る。
なんて説明しようか、困る。
この困り感を抱えながら、大人の私たちができることは、世界を今より少しでもいい世界にして、未来の世代に渡せるように歩き続けること。
いつかほんとうの「大丈夫」を言ってあげたい。
※写真は、福山の訓練場予定地だった場所。遠くに見えるガジュマルの樹のところに大切な御嶽(うたき)がある。
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