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「この世は金と肩書き」~超競争社会になったら~

『バクマン。』 真城最高と高木秋人の一作目
赤丸ジャンプに掲載された作品に
「この世は金と知恵」という漫画がある。内容は、人の脳は能力によってランキング付けされて、売り買いされる。高いランキングに乗った脳は高く売られる。
という人の欲をあけすけに描いた漫画。

 最近すごく思う。まさに今の世の中は「この世は金と知恵」だなと。
正確には「この世は金と肩書き」だと。
 肩書きがなければ信用されないし、評価もされない。
 最近、大学にて外部の講師が講演をしてくれるという講義を受けている。
大学OGから、NHKのプロデューサーに至るまで多岐にわたる講師の話を聞くことができた。
 その中で、周りの学生の講義の聞き方が気になった。明らかに、講師の肩書きによって聞く態度が変わっている。大学のOGの話の時にはパソコンを開いてツイッターをずっと見ていた奴が、元テレビプロデューサーの講師が話をするときには、真剣に話を聞く。
 
 

 もし金で肩書きを買うことができたらどんな肩書きが一番高く売り買いされるのか?


NFTのように肩書きに値段がつけられたらどうなるのか?

 芸能人という肩書きはなかなか人気な銘柄になるだろう。芸能人という銘柄でも、モデルから歌手まで様々なジャンルに分かれる。その中でもイメージで言ったら歌手が一番価値が高いのかもしれない。IT社長は芸能人より高いと考えられる。

 では、総理大臣という肩書きはどうだろうか。国にひとつしかない肩書きだから希少性は一番高い。その分、国のトップというという大きな責任を持つことになる。そう考えると買いたいと思う人は少ないかもしれない。値段が高く、持つと責任という重みがずっと付きまとう。
まるで呪いの装備のような肩書きだ。
 
 あえて金持ちが無職という肩書きを自ら買うかもしれない。金という社会的信頼が高いものがあれば、社会的信頼度の低い無職という肩書きをプラスマイナス0にできる、プラスにもできる。
 
 

肩書きを身に着けず、コレクションとして扱えるとしたら?


 良いとされる肩書き以外誰も身に着けなくなるだろう。
無職という肩書きはゴミより価値が低くなるのかもしれない。マックの包み紙よりも価値が低くなる。
 どの肩書きを持つ親の元に生まれたかによって、人生の価値が決まるようになる。
 金がなくて、無職という肩書きしか手元にないところに生まれれば、一生虐げられる。逆転することは不可能だ。無職しか手元にないということは、もう金を作り出すものがないということになる。
 逆に、良い肩書きを持つ場所に生まれれば、一生困ることはない。金がなくなっても生まれ持った価値の高い肩書きという保険がある。

 残酷な世界だ。

 機会すら平等ではない。

 

では、もしこの世界に今の自分の国立大学生というただ一つの肩書きを保ったまま入ったらどうなるのだろうか?


 たぶんすぐにくいっぱぐれてしまう。それくらい価値のないものしか手元にはない。
 金のある家に生まれたわけではない。特別な肩書きを持った親ではない。
国立大学生という肩書きも価値は低い。誰でも手に入れられるものだからだ。
 一つに決まっている答えを出すことだけを受験では見られる。
そんなものに価値はない。一つしか答えがないのならだれでもそこにたどり着けるから。だれでもそこに行けるように機会が平等にされているから。超競争社会ではそんなものには価値はない。
 
 肩書きが売り買いされる世界は超競争社会だ。どこに生まれるかすら、運というもので競争になる。
 競い合って競い合った結果どこにたどり着くのか? 
 そこには何があるのか?
 それは誰にも分らない。わからないのに誰もが先を急ぐ

 残酷な世界だ。 
でもいずれはそうなるのかもしれない。し、そうならないのかもしれない。

 考えておきたい、競争の先にあるものは何なのか

 

 

 

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