避難訓練中に一国語科教員として「批判」の大切さについて考えた話。
本日あった避難訓練の講評で、火事の避難中に窓を閉めるようにという話があった。
個人的には窓を閉めるよりも安全に逃げる方が優先であろうと思っているので、実際に避難する際にわざわざ閉めないだろうけれど「火事の避難中に窓を閉める」というセオリーがあるのか、程度にその講評を受け止めていた。
しかし、校舎に戻る生徒の中で、講評における件の発言は失言であろうと強く批判している生徒がいた。
そんな生徒の言葉に影響され、実際に火事が起きた際の避難時における窓の開閉について少し調べてみた。その過程で京都市消防局が打ち出した新指針に出合った。
https://www.24med365.net/2020/03/200317/
https://www.city.kyoto.lg.jp/shobo/page/0000267003.html
細かな点については読者各位に確認していただきたいが、窓を閉めるというこれまでの〈当たり前〉にも、それを批判的に考えて打ち出された新指針にも合理的な理由がある。
ただ、先に感じた私の直感と照らしても新指針の方が私にとって受け止めやすいものではあった。
批判と非難とを混同して、「批判」そのものを悪いものと考えて遠ざけてしまうことは、学問や組織の発展において有害である。
https://www.hrpro.co.jp/series_detail.php?t_no=3223
そのことを改めて強く感じた避難訓練であった。
そんな避難訓練の最中に同僚がダッシュで校舎に戻ろうとするという、いわゆる「駆けない」「戻らない」のセオリーを一気に2つ破るコンボをぶちかましていた。
そんな彼に対して別の同僚が「今は校舎燃えている(ことになっている)から戻っちゃだめだよ」と冷静にツッコミを入れていて久々に腹を抱えて笑ってしまった。
現在の〈当たり前〉尺度で見ると奇妙で理解不能に思える彼の行動も、批判的に見直された新たな〈当たり前〉によって正当化される日が来るのかもしれない。