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百年文庫66 崖

もうひとつのテーマは狂気、三篇とも精神のバランスを崩した人間が主人公。

亡き妻フィービー/ドライサー

「おうい、フィービー!ほんとに帰ってきてくれたのかい?」亡き妻の幻を追い求め、必死に彷徨う老農夫の痛ましくも幸福な生涯。

特に何かを人生で成し遂げたりはしないけれど、幸福を自給自足できる人というのがいる。このヘンリー老人はその極みのように思える。人から見たら幸せな生涯には見えなかったとしても、本人は満ち足り、満足して死んでいければそれがいちばん幸せだよな。

境遇という岩の上に、苔のようにしっかりと身を結びつけ、死にいたる日まで風雪に耐えてゆく単純な性格の人びとがあることはご存じであろう。広い世界は遠くでどよめいているが、彼らにとっては何の魅力もない。

この文章が印象的だった。こういう人だからこそ最後にはフィービーの幻を見て死んでいくことができたのだろうけど、こういう人だからフィービーの死後、幻を追って生きるしかなくなってしまったところもある。こういう幸せな無知を羨ましく思っていた時期もあったけど、最近はこの種の幸福の切なさのほうが胸に刺さる。

青靴下のジャン=フランソワ/ノディエ

その不思議な言動で、人々の笑い者だった青年。憂いを帯びた眼差しが見ていたのは。

「青靴下」という印象的な通り名がかえってその異質性を際立たせるジャン=フランソワ。魂が二つに分かれ、地上のことはわからなくなった代わりに精神的学問的な話題にだけははっきり応えられるようになったジャン=フランソワは、人智を超えた高みへ昇っていってしまったのだと思う。彼が最後に予知した事ごとはオカルトじみているけれど、人が正気を失うという事象もメカニズムが解明されているだけで、状況だけ見たらオカルト的なものとほとんど差は無いなと感じたり。

紅い花/ガルシン

あの花にはあらゆる悪が集まっている、だから毟り取ってしまわねば-。閉ざされた病棟で世界を救おうとした男の誇り高き闘い。

私は一応いまのところ正気のつもりだけれど、夜の窓ガラスの向こうや、お風呂場の鏡の向こうには誰かがいるような気がしてわけもなく不安になることがある。この作品はこういう怖さの地続きにある狂気がものすごい解像度で描かれている。

君たちは滅亡に瀕しているんだぞ、僕は咲きかけている三つ目の奴を見たんだ。今頃はもう彼奴め、用意ができた頃なんだ。頼む、この仕事を果たさせて呉れ。彼奴を殺さにゃ、殺さにゃならん。そうしたらすっかり片附くんだ、みんなが救われるんだ。君たちに頼んでもいいが、これが出来るのはこの僕だけなのだ。君たちはちょっと触っただけでも死んでしまう。

終盤の男のこの台詞、正気の人間から見れば滑稽なまでの真剣さがこの話のすべて。

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