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めぐみティコ(38)、小学生に再び翻弄される

以前、こんな記事を書いた。

これは、不審者一歩手前な記事を日々量産するわたしが、小学生noterにんじん君さんにおもしれー女認定され、どうしたら事案を回避するコメントを返すことができるか、というわたしの生死をかけた戦いの記録である。
あれから、わたしは一度も管理職に呼ばれず、教育委員会の懲罰委員会にもかけられず、平穏な日々を送っている。
目下の危機は脱したと言っていい。
そう、思っていた。

あの日までは――。

昼休み、わたしは学級の子どもたちを引き連れ、グラウンドに繰り出そうとしていた。
右腕に抱えたこのボールで、今日こそひとり残らず討ち取ってやる。そんな決意を胸に秘めて。
玄関で靴を履き替えた、まさにその時。

「先生、先生はきのこ派ですか? たけのこ派ですか?」

……今、何て?

ご存知の方はあまりいないかと思うのだが、わたしはつい先月、長きにわたるきのこたけのこ戦争を終結させ、和平へと導いた女。
しかし、そのことはnoteでのみ語られ、この世界勤務校では一切、そんなそぶりさえ見せたことはない。
それなのに、この高学年女子……まさか、担任を試しているのだろうか?
この和平に異を唱える反乱分子なのかもしれない。

「先生、私はたけのこ派なんです!」
「たけのこ派? 私も!」
「あー、俺もたけのこの方が好き」

学級の子どもたちが次々にたけのこ派であると告白し始める。
やはり、これは反乱分子の動きが活発になってきていると判断してよいのではないだろうか。
しかし、現役小学校教員であるわたしが和平に導いた張本人であること、そして何より日夜怪文書を書き散らしてネットの海に放流していることは、絶対に知られてはならないのだ。
何とか、この場をやり過ごすしかない。

「どっちも美味しいよ。選べないよ」

ああ、またやってしまった。無難で面白みにかける返事をしてしまった。
にんじん君さんの件から何も学んでいない。
安定をとるか、面白さをとるかで結局毎回安定をとる女なのだ。
せっかくおもしれー女と言っていただけたのに、その性根は実につまんねー女である。

靴を履くために一旦下駄箱の上に置いていたボールを、一足先に玄関に出て待っていた男子に手渡す。
校舎の外に一歩踏み出すと、一足先にやってきた夏の気配がそこかしこに息づいていることに気がついた。
子どもたちは今にも駆け出しそうな勢いで、前庭を足早に急ぐ。

そうそう。早くボールと戯れるがよい。そして茸筍のことなど忘れてしまえ。

が、先ほどわたしに「きのこ派かたけのこ派か」と尋問してきた女子だけは、わたしのそばにピッタリはり付いていた。

「先生、きのこたけのこ戦争って知ってましたか?」

試されている。探られている。
わたしは何と回答すべきなのだろうか。
あまり知らないふりをするのも白々しく、かえってわざとらしい。
絶妙なラインをつかなくてはいけない。嫌な緊張感が走る。

「知ってるよ。どっちが勝ったか知ってる?」
「私、昨日家でスマホで調べたんですよ。そしたら、なんか『きのこたけのこ戦争』ってハッシュタグが出てきて」
「……ほう? その話詳しく聞こうじゃないか。TikTok? インスタ?」
「Googleで検索したら、なんかノート? ってやつがあt」
「そこ! 手すりにのぼらない!!」

やばい。これ以上聞いてはいけない。
わたしの本能が全力で警鐘を鳴らす。
なんでインスタやTikTokではなく、Googleで検索してるんだ。
令和の小学生なら、視覚に訴える系SNSから出てこないでほしい。
運よくグラウンドに降りる階段の手すりで遊んでいる児童を見つけたわたしは、普段の1.5倍増しの大きな声で注意した。
そこでその話題は終わりとなり、彼女はドッジボールの輪の中に加わっていった。
ひとり残らず討ち取ってやるという決意も虚しく、その日のわたしは討ち取られる一方だった。

後から彼女のやった通り、Googleで「きのこたけのこ戦争」で検索してみたところ、noteのハッシュタグきのこたけのこ戦争検索ページに直接飛ぶことが分かった。
その中にわたしの記事も、確かにある。めちゃくちゃ分かりやすいところにある。
何か間違えてわたしのクリエイターページに飛んでしまったら⋯⋯。
にんじん君さんどころの騒ぎではないではないか。
インターネット上の小学生ではなく、リアル小学生、それもわたしの教え子がnote上のわたしであるめぐみティコに迫ろうとしている。
これは下手をするといよいよ懲戒免職待ったなしである。
自分が書いてきた記事のタイトルだけを思い返しても、

・ブラジャーが臭い
・【読書ノート】夫のちんぽが入らない
・腐った道の、その先に
・憧れのおかまバー

など、教員らしからぬ文言が並んでいる。
「おとちん」については本のタイトルなので大目に見てもらいたいが、インパクトは他の追随を許さない。
やはりプロの言語感覚は違う、と一瞬唸りかけるが、今大事なのはそこじゃない。
これらの文言を日々放出しているのが、目の前で毎日偉そうに授業をしている女だということが知られてしまったら、一体どうなるのだろう。
双方に何の利益もないことは分かる。
この子が大人には裏の顔のひとつやふたつあるということを知るのはもう少し先でいいし、そのきっかけはわたしでなくてもいい。

どうしたらわたしは社会的死を回避することができるのか、残念ながら今もって有効な手立てを見つけることはできていない。
唯一の救いは、彼女が長い文章を読むことに喜びを見出す系女子ではないということである。
検索ページだけ開いてすぐ撤退したと思う。思うことにする。
わたしの記事から、ひとまず茸筍戦争のハッシュタグを削除して様子を見ようと思う。
⋯⋯ていうか本当になんでGoogleで検索してそれなりに奥深くまで潜らないと見つけられないnoteを見つけたんだよ。
ここは年齢層高めの大人の安息の地ではなかったのか。

ある日突然わたしの更新が途絶えたり、アカウントが消えたりしたら⋯⋯
わたしが非業の社会的死を遂げたか、ドッジボールの当たりどころが悪くて殉職したかのどちらかだと思い、冥福を0.2秒でも祈ってもらえたら嬉しいです。

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