わたしと彼女は地続きだった。【創作大賞感想】
スズムラさんのこのエッセイを、わたしは春永睦月さんの感想文、ううん、共鳴文で知った。
スズムラさんとわたしは繋がっていない。何の関わりもないし、やり取りもしたことはない。
でも、感想、もしかしたら感想にもならない思考の垂れ流し、になるかもしれないけれど、思ったこと、感じたことを伝えたい。そう思いました。
なので、書かせていただきます。
受け取っていただけるかは分からないけれど、お読みいただければ幸いです。
留置所。
言葉としては知っていたけれど、わたしの40年弱の人生で関わることのない場所のひとつだった。
でも、わたしは今、その寒々しさを、その中で過ごした苦悩の日々を、わたしの社会とはまったく異なるシステムを画面越しに垣間見ている。
留置所や刑務所に入る人というのは、わたしはどこかで自分とは違う人種なのだと思っていた。
わたしには無縁の場所で、一生関わることのない場所、人たちなのだと。
だけど、それは幻想だった。
彼女はスーパーで万引きをしたために、留置所に行くことになった。
仕方のないことだと思う。「悪いこと」をしたのだから。
でも、スーパーに行ったことのない人間などいるだろうか?
地続き、なのだ。わたしも、留置所も。
たまたまわたしは病的窃盗を抱えておらず、スズムラさんは抱えていた。それだけの違いでしかない。
あの日、中年女性に盗んだ現場を見られていなかったら。
スズムラさんにクレプトマニアという精神疾患がなかったら。
彼女は今でも、留置所に入ることなく暮らしていたかもしれない。
ただ、その地続きの場所は明らかにわたしが普段暮らしている社会とは異なる。
隔絶されている、それ以外に形容の仕方が分からない。
固有名詞ではなく、番号で呼ばれる。
必要な薬でさえ「犯罪者なんだよ」という理由で服薬させてもらえない。
トイレを使いたい時には申告して「チリ紙」を看守にもらう。
チリ紙とナプキン以外の全てに自分の番号が書いてある。
こんな世界が、わたしの社会のすぐそばに広がっていることを、わたしは知らずに今まで生きてきた。
前科というものは、履歴書に必ず書かなくてはいけない。
ただ、履歴書以外の場所では別に言わなくてもいい。
でも、彼女はこのエッセイを書いた。書いて、世に放った。
書いたために、見ず知らずのわたしにまで、「スズムラさんというかつて留置所にいた女性がいる」と知られてしまった。
書かない道もあったはずだ。
でも、書かずにはいられなかったのだろうと思う。
こんな文章から始まる結びの部分に、彼女の想いの全てが集約されている。
そんなふうに思った。
過ちを犯す人を減らすため。
犯してしまった人が何とかこれ以上悪い方向へと進まないため。
そして、自分自身の償いのため。
そこには絶対的な覚悟が伴う。痛まなかったはずはない。膿まなかったわけがない。
自分の傷を開くことに、どれだけの葛藤があっただろう。
できれば秘めておきたい過去なのではないか。
でも、どんな人もどうか真っ当に生きていってほしい、その願いを伝えるために、自身の痛みを乗り越えて書き綴られたことに、わたしは最大の敬意を表したい。
スズムラさんの綴ったこの物語が、今まさにこれを必要としている人に、どうかまっすぐに届きますように。そう願わずにはいられない。
春永睦月さんの感想文はこちら