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罪と悪の感じ
外は雨が降っているのか。耳を澄ますと雨音が微かに聴こえる。ダイニングのテレビからはニュースキャスターの声が聞こえて、タイピングしながら首を左右に傾けると、首筋からポキポキと音がした。
昨夜は9時頃に眠ったはずで、晩ご飯を食べてから机に向かったけど、眠くて何もできず、布団の上に寝転ぶと、そのまま眠ってしまった。
部屋の灯りはついたままで、お風呂さいごだからね、とドアの向こうから家内の声が聞こえたような気がして、まどろみのなかであいまいに返事した。途中、何度か目が覚めたような気がするが、部屋の灯りが眩しくて、夜だとは思っていなかった。
朝方にスマホの充電が気になり、枕元にみつけたケーブルの先をスマホに差し込むと、画面が明るくなって、充電中のマークが浮かんだ。風呂にも入らず、眠り続けるのは久しぶりだった。
変化したのか、している最中なのか、こういうことを変化の兆しととらえるのは、今まで眠ることができなかった私に、突然、長時間の眠りが訪れたから。
眠くなれば、眠れば良いのに抵抗していたのは、休息することに対する罪悪感が奥底にあるからで、怠けている、という烙印を押して、マイナスの因子だと責めるけど、マイナスの因子とは何なのか、どういう感じなのか。
こうありたい、とか、こうあらねば、と思う一つの因子は、残す、ということへの執着のような気がして、この世から私が消滅すれば、基本的には何もなくなるから、残そうとして何かをする必要はなくて、残す、ことへの執着を手放すと、今を生きるということに、つながるような気がする。
外の世界に対して、反応するのは表面的な世界で、心のなかだけでつぶやくとしたら、それはほんとうの私で、いままでも、心のなかでたくさんつぶやいていたのだけど、そのつぶやきに、私が気づいていなくて、とても辛辣につぶやいていたのだろうし、その逆もあるのかもしれない。