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【読切小説】寄り添う春、めぐる頁【22623文字】

新幹線が小気味よい音を立てて停車する。
窓の外には、まだ眠りから覚めきらない街並みが広がっている。
灰色のビルの合間から、わずかに覗く朝焼けの色は、どこか儚げで切ない。
車内のアナウンスが流れ、少なかった乗客たちが眠い目をこ擦りながら降車の準備を始める。
座席に残る温もりが、ここでの長い旅の名残を伝えていた。
「着いたか……」
読みかけていた文庫本にゆっくり栞を挟むと、それをジャケットの内側へと仕舞った。

九州へ来るのは実は初めてだ。
東京に住む俺からすると、この地はどこか遠く、暖かな南国のイメージがあった。
だが、新幹線を降りた瞬間、春の風が頬を刺すように冷たく感じたのは意外だった。
冷たさに身震いしながらも。風が運ぶ空気には、確かに東京にはない匂いが混じっていた。
俺はジャケットのボタンを留め直すと、風を感じながらゆるやかに歩き出した。

出張は嫌いじゃない。
地方の小さな書店に新たな未来を感じさせる、その瞬間がたまらない醍醐味なのだ。
買収、と聞くと、眉を顰める人もいるかもしれないが、俺は違う。
地方にはまだ無限の可能性が眠っていると確信している。
そして、我が社のような未来を見据えた企業と未来を共に歩むのは、地方の書店にとっても喜ばしいことなのだ。
小さな書店をこの手で蘇らせる……それが俺に課された使命だと確信しているのだ。
この熊本という地にも、我が未来書房にとっての希望とも言える、新しいパートナーが存在しているだろう。
この地に降り立つ瞬間、それが一番俺にとって嬉しい瞬間でもある。
少し凍えた指先に息を吹きかけると、それがまるで確かなことのように、心の中が確立されたように感じた。
自分が進むべき道、そしてこの地に足を踏み入れた意味が、今、ひとしおに重く実感できた瞬間だった。

「春待堂」に辿り着くのは、もうすぐだ。
そこにはどんな人間関係が待っているのだろう。
春待堂という店をまだ直接は知らないが、店内の雰囲気や、店員が選んだ本達から感じ取れる世界が、すでに少しずつ頭の中で形を成していっている気がする。
その書店はどんな書店なのか、この目で確かめることができるのも、もうすぐだ。

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