災難をのがるル
博多駅地下街でいい風合いのTシャツを、いくらか値段の下がったところで買ったのは、8月末くらいだったか。
9月、10月とそのシャツ一枚で大事ないくらいの暑さだったが、今晩は寒い。冷える。
ようやく冬日が近づいたとおもうが、まだ日中はあたたかい。
日中だけ秋としておくか。
選挙がああいう状態におわって、ウチの国は腰砕けのような状態なのに、アメリカ大統領選挙でまた「アレ」が返り咲くというので、いつぞや読んだ辻邦生『春の戴冠』の、サヴォナローラ登場周辺の大混乱を思い起こすとしたら、多分それって間違ってるんだろうなあって思うがおもいだしたし。
なんにせよ、当分自分もふくめて大小それなりに動揺しそう。
自分の場合は勝手ながら。
どうにもならないことは、押し通るしか。
そうなると思っても(思い込んでいても)、そういうことにならないのは、ゲームオブスローンズで学んだしね。
数日前に文学フリマに顔を出したんだけど、またしてもたくさんの日記を購入した。
みな達者な書きぶりで、あたまが下がる。
日記モノを読んでいると、ますます小説と日記との差がわからなくなる。
海外文学のソレと日記モノの書き出しとの差があまり感じ取れなかったりして、そうだといえば小説の書き出しだし、日記モノの書き出しとも読み取れたりする。
バスで出かけたり、散歩したりするときにはかならず本や文フリで購入した冊子(本ですね、はい)を持ち出すが、大して読めてはいない。それでも、何かを手にしていることで落ち着くのは子供のころからのくせだ。
ミシェル ・ウエルベック『素粒子』をずっと読んでいるのだが、まだ半分くらい。
また、
E. M. シオラン『生誕の災厄』も同時に読んでいる。
こちらは遅々として進まない。アフォリズムって、ぐさぐさ刺さるじゃないですか、弱ってる人間には。
そのうえ、日記を別に読んでいて、まあいつもの同時読みという非生産的な読書…いや、生産的な読書なぞしたことなかったわ。
MRI検査により、椎間板ヘルニアが四つも見つかって、もともとだるーいなあって思ってたのが、おそらくこれによるものだと判明したせいで、ますます倦怠感まみれな自分は、それでも読書はしたい願望だけを大事に、日々を送っております。
もはや体感を鍛えるしかないとはいえ、こんな状態で腹筋なぞ鍛えられるものでもなく、いまはできる限りテクテク歩いているしだい。
自分の部屋にたまっていた、ビデオテープ、カセットテープをゴミ袋に放り込み、ダ・ヴィンチの旧刊をひもで縛って、少しずつモノを減らし、スペースの確保に動いている。
古い本も片端からブックオフへ送付。
と思ったら、いまや価格高めなゲームブックが出てきたので、どこかでメルカリに出店してみようと思うがどうかなあ。
どうなるのかわからないのだけれど、来年文フリに何か書いて出してみようかと思っていて、せっかくなので将棋ウォーズの戦いを日記に書いてみようなどという野望。
仮題は「中(向かい)飛車残日録」。
むろん藤沢周平『三屋清左衛門残日録』より。
三切れ三段に昇段して、10秒を三段に昇段させようとしてるんだけど、変動が凄まじく、なかなか難しいんよね。
一進一退を描くわけじゃなく、符号を入れず、どうしてそうなっているのかの感情面をかけたらと思っているのだが、11月より手書きで始めたはいいが、昨日廃指ししてまたしても奈落落ちしてしまいました。
学びがありません。
どなたかが没入を救いといっておられたが、自分の場合将棋ウォーズなんですよね、それって。
長くなってきたので、ここで終えます。
珈琲と岩茶と将棋と読書と、すこしだけ書くことを愛する者です。