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親を憎めば、私は助かる?

世間広し、家庭の色や形も様々だ。そして、私たちは生まれてくる家庭を選ぶことはできない。

いわゆる毒親のような親の元で育つことになり、大人になっても生きづらさを沢山感じる。そんな難しい人生。

もしそうなってしまったら、行き場のない私たちの怒りはどこへゆけば良いのだろう?

親を憎めば心は軽くなるのだろうか?そもそも親を責める権利はあるのか?それとも親と疎遠になれば幾分か楽になる?


カウンセリングを始めて1年半が経つ。

私がやっているのはセラピーもしくは精神分析と呼ばれ、深層心理や幼少期のトラウマを探求し、生きづらさを解消することを目的とする。一般的にはカウンセリングというと認知行動療法(CBT)を指すことが多いが、私にはセラピーが向いていた。心療内科医の勧めで始め、現在は週に二回通っている。

正直、始めた当初は目的もよくわからず通っていた。

仕事の合間を縫い、先生のもとへ通う。小さな部屋の中でベッドに横になり、宙を見つめる。一時間のセッションで、私は頭に浮かんできたことを一生懸命、言葉にする。私の頭の中の雲はゆるやかに流れる。浮かんでは消え、消えては浮かび。

そんな漠然とした日々を繰り返すこと半年。ある日のセッションは母が題材だった。そこで私はセラピーの意味を悟る。


大人の私が生きづらいと感じるのは、子どもの私が頑張りすぎたから。子どもの私が頑張らないといけなかったのは、母親から見捨てられないため。

子どもの私に対して、母が見捨てようと辛く接してしまったのは、母もまた生きづらさを感じる大人であったから。そしてその原因は子どもの頃の母が人一倍頑張らないといけなかったから。なぜか?祖父母が子どもの母に辛く当たったから。

そしてその元を更に辿れば、祖父母も人一倍頑張らないといけない辛い幼少期をすごしたかもしれない。


なるほど。私の家系に脈々と「生きづらさ」が受け継がれているわけだ。


では私が今できることは何だろう?

それは親を憎むことでも、憐れむことでも、愛すことでもない。私が幸せになれば良いのだ。

そうすることで生きづらさの連鎖を断てる。

自分を愛せるようになる。自分が幸せになる。子供の頃の私も、今の私も、皆含めて癒やす。それがセラピーの目的だったのかと腑に落ちる。そんなとある日のセッション。

本当の意味で全ての「私」が癒やされる。そんな日が来るまで私は来週も、来月も、来年も、セラピーに通い続けるのだろう。



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うつぬけサンダーバード
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