楽屋で、幕の内。|2020年の脳天ガツン本Dec.29
『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(上出遼平著、朝日新聞出版)は、2020年に読んだ本の中でもっとも私の脳天をガツンと言わせてくれた。「ヤバイやつらはどんなご飯を食べているのか」を主題に危険きまわりない海外の僻地を訪れる、テレビ東京の同名番組からスピンアウトした本である。同書では西アフリカ・リベリアのかつての少年兵らが住む廃墟や、新興宗教の信者が集団で暮らすロシアの村、ケニア最大の廃棄物処分場、いわゆるゴミ山などが“ヤバイ場所”として登場する。
上出さんは“ヤバイ場所”をずんずんと歩き、カメラを回す。歓迎はされない。むしろその逆だ。撮影はやめろと取り囲まれ恫喝されることも一度や二度ではない。警察に話を通しても完全には守ってはくれない。それでもマイナスの出発から相手の懐に入り込み、いつの間にか話を聞かせてもらうのである。
取材をひと通り済ませたあと、最後の一押しのように「ご飯を見せてください」という。番組タイトルからすれば当然だが、命があっただけ、話を聞けただけでも十分と私ならつい、思ってしまう。同じ取材者として脱帽の執着心なのである。
特に度肝を抜いたのは調理をお願いし、食事シーンを撮るだけでなく、食事のご相伴に預かるところだ。“グルメリポート”だから食べずには何も伝えられないのだが、辺境地のグルメなのである。最初の一口をほおばるときの勇気を何度も想像した。
食べ物を数口もらい、味わいや匂いを読者に伝える。その食レポが以前流行したグルメ漫画を彷彿とさせるのもいい。見たまま、感じたままを直球で伝えようとしているせいか、沸き上がる蒸気や完成間近の香りまでが脳内で再現される。
どこか懐かしさを感じさせるレポは、緊張感の続くこの本の、ちょっとした緩和剤でもある。読んでいてこのシーンでホッとするのだ。もっというと私が目撃したわけでも、そう書かれているわけでもないのに、上出さんが舌なめずりをする絵を想像できる。
この本が教えてくれたのは、貧しい人にも富める人にも、悪人にも善人にも食べることはついてまわるということであった。たとえ1日1食しか食べられなくても盗んだものであっても、食べる行為は平等にあり、おいしければ破顔する。その点で“ヤバイ人たち”と私は同じだということに気づく。
「いつかやりたいことはある?」「夢は?」「今幸せですか?」。インタビューにおいて、これらの質問は無難にクロージングできる便利なツールである。上出さんも最後はこの質問で締める。しかしここでこの質問は最大の効果をあげる。なぜなら場を締める装置であると同時に、こちら側である私たちに鋭利な刃を突きつけてくるからだ。その日一日を生にるのに必死の彼らは恐らく、希望を叶えることはできないし、私たちが多少の手を差し伸べたところで状況は変わらない。そのことが即座にわかるのだ。それは塩を擦り込んだ傷口のようにヒリヒリといつまでも痛み続ける。この本にあるのは食レポなんかでは到底ない。食べつなぐ命のレポなのである。
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