【HYBE】楽曲制作者による犯罪をどう捉えるか【チョン・バビ事件】
【閲覧注意】この記事には性暴力に関する言及が含まれます。
事前注意
大事なことなので二度書きますが、センシティブな案件なので閲覧注意です。自己責任でご覧ください。
記事を書いたきっかけ
Xのタイムラインを見ていたら、「HYBE、BIGHIT MUSIC、およびBTSが性暴力軽視に加担することを懸念」して抗議を行っている、という旨のポストが流れてきました。
性犯罪容疑で告訴されたチョン・バビ(一部暴行容疑のみ罰金刑確定)の件に絡んでのことのようです。
この件について知ってはいましたが、実際の抗議を見たことがなかったため、興味深く拝読し、改めて事件の経緯を見直してみました。
その上で、自分の意見も書いてまとめたのがこの記事です。
事件を知らない方はページ下部の「関連記事」からどうぞ!
言うまでもありませんが、これは私の個人的な意見であり、他の人の意見を否定するものではありません。
また、韓国企業の一般的な対応を知らないため、一日本人としての感覚によるものだという点を、汲み取っていただければと思います。
前提情報
チョン・バビとBTS楽曲
KOMCA(韓国音楽著作権協会)のIDは「W0330100」。
著作権登録曲238件中、BTS関連曲は以下の7曲だと思われます(2025/12/27時点)。
2018/5/18リリース「LOVE YOURSELF 轉 'Tear'」収録
Love Maze
134340
2018/8/24リリース「LOVE YOURSELF 結 'Answer'」収録
I’m Fine
Answer: Love Myself
2019/4/12リリース「MAP OF THE SOUL : PERSONA」収録
Home
2019/6/28リリース「BTS World: Original Soundtrack」収録
Dream Glow
2020/02/21リリース「MAP OF THE SOUL : 7」収録
Filter
「NO MORE SILENCE」の声明引用
私の意見
私は子育て中です。この得難い体験を通し、不安の多い社会で子供を育てることの困難さや、自分だけでなくかわいい子供がいつ被害者・加害者の立場に立つかもしれない、そんな可能性が存在することの恐怖を知りました。被害に合われた方や、そのご家族の心境を慮ると、胸が痛みます。
同時に、私は音楽や芸術・文化を、そして表現者たちを心から愛しています。焚書や発禁は野蛮人の所業だと思いますし、バンタンの関わった楽曲が広く世の中に愛されてほしいと願っています。
今回はこういった立場から、この声明を読んで考えた意見を述べてみます。
関与作品の再収録は、会社とBTSが性暴力軽視に加担することを意味するか
意味しないと思います。
これは、「関与作品が再収録される=チョン・バビを認める=彼が犯した性暴力を認めている」という三段論法から来る見方だと思いますが、楽曲はBTSだけのものでないのと同様、チョン・バビだけのものでもないと思います。
個人的には、「作品はリリースされた時点で、作成者だけのものではなく社会的財産となる」というのが信条です。
作品の再収録は、特定の作成者に社会的地位や承認を与えるものではなく、作品の価値と評価を示すものだと考えます。
関与作品の消費(購入・視聴)は、性犯罪への加担を意味するか
意味しないと思います。
これは、以下の二点が問題視されていると思います。
関与作品の印税・著作権料の一部が作者に流れ、収益となる
クレジットに名前が載る
これも、「収入や承認が発生する=彼に利益を与えている=彼が犯した性暴力を認めている」という三段論法から来る見方だと思いますが、私は性犯罪者であろうと対価の発生は当然行われるべきだし、作品を生み出した責任としてのクレジットはあって良いと思います。
それらを認めないということは、「性犯罪を犯した人間の成果を、過去に遡って社会的に消し去るべきか」という問題に発展しかねないからです。犯した罪への償いは、別の課題だと考えます。
疑問のある表現
このくだりは、読んでいて残念に思いました。
法の原則は、「疑わしきは罰せず」です。
「疑い」と表現した上で、「社会的地位に影響を及ぼさず、損害にもならない」と批判するのは、矛盾しているように読めます。
(『Filter』が再収録された「Proof」の発売は、事件の判決が出る前)
また、「過去に有罪になった」人物の参加をもって、性暴力の軽視とするのは、過大解釈ではないでしょうか。
過ちを犯した人間が罪を償った後に社会復帰することも重要な社会の課題であり、現在は現在として評価されるべきだと思います。
私はこのいずれも、「HYBEおよびBIGHIT MUSICは性暴力を軽視していると捉える」根拠にはならないと考えます。
重要な問題だからこそ、忘れてはならないこと
前述したように、関与作品の再収録は、作成者の社会的地位の保持を示すものではなく、作品の価値と評価を示すものだと思います。
また、センシティブな案件であるため、話題自体が関係者への二次被害を生む可能性も高く、会社には慎重な対応が求められます。
再収録や、この案件について会社が声明を出さないことをもって、犯罪の容認として捉えるのは、やや短絡的な発想ではないでしょうか。
問題が浮上してからの新規楽曲はありませんし、収録にも配慮されているため、問題を認識し対応した様子は窺えます。
これは、被害に合われた方やご家族、支援される方々が日々接する苦痛に対する配慮を否定するものではありません。
「この社会では性暴力が軽視され続けている」という訴え自体は、真摯に受け止めなければならない課題だと思います。
しかし、性犯罪の痛ましさに目を奪われるあまり多角的な視点を失うと、建設的な結論を見失いやすくなるため、どういった立場から論じる場合であっても慎重を期すべきだ、とも考えます。
関与作品の再収録を理由に会社を批判することは、社会が負うべき責任を企業倫理の問題に矮小化させ、問題の本質を見誤らせる危険性もあります。
また、被害者は当然として加害側の権利も守られるべきですし、そうすることは犯罪擁護にはなりません。
本当に解決したいと願うのであれば、物事を広く俯瞰的に見る姿勢を忘れてはならないと思います。
より良い未来を目指して
私はBTSのファンであり、彼らと彼らの作品を愛しています。
同時に、グローバル企業としてHYBEに求められる社会的責任や、被害者へ寄り添う姿勢についても、多少なりとも理解しているつもりでいます。
その上で感じるのは、私たちファンに必要なのは批判と対立ではなく、解決のための協力ではないか、という点です。
会社やBTSが巨大化し関連する人間も増大していく中、こういった問題は今後も発生する可能性がありますが、その度に「会社が望む対応をしない」と傷つき怒るわけにもいきません。
会社は既に一度、この件について声明は出さないという判断をしているようです。
その上で更なる対応を要求したいと考えるのであれば、例えば「関与曲収録アルバムの収益の一部を被害者支援団体に寄付してほしい」と企業として可能なアクションを取るよう望む形で提案を行うなど、建設的な方向へ進んで欲しいと願っています。
「NO MORE SILENCE」のQ&Aに、「Q. チョン・バビ氏が参加する楽曲を聴いたら性暴力への加担になるのですか」「A. HYBEが対処しない以上、性暴力への加担につながります」という文言がありました(この回答には賛成しません)。
これは純粋に音楽を楽しむファンに過度の責任を押し付け、ボイコットを示唆しているようにも取れるため、主張を通すためにバンタンを使うなという反発が予想され、ファンダムの混乱や分裂を招きかねません。
私たちはBTSのファンダムです。様々な意見があることは受容しつつ、共に彼らの楽曲を楽しむための道を模索できないだろうかと思います。
色々と考えさせられた一件でした。
チョン・バビの著作権曲は238曲と非常に多いのですが、他の会社はどういう対応をしたんでしょうね。また調べてみたいと思います。