「執着しないこと」- 愛別離苦。愛とは執着である。
2020年4月。
ガイドの勉強のために仏教のことを調べていた時だった。「愛別離苦」という言葉が目に飛び込んできた。しかも、この苦しみを乗り越えるためのお釈迦様による解決法があると言う。
【愛別離苦】とは、(広辞苑)
〔仏〕親・兄弟・妻子など愛する者と生別・死別する苦しみ。八苦の一つ。
そうそう、それなんですよ。
その苦しみに私は今、ズタズタにされてる。
しかも解決法があるなんて!!
と言うカンジで<神仏.ネット>というサイトを読み進んだ。
愛別離苦の原因は「愛」です。
愛から苦しみが生まれるというのがお釈迦様の教えです。
何かを愛するということは、愛する対象を「大事にしたい・失いたくない」という感情を生み出します。
これを「執着」と言います。
愛というのは何かに執着する感情の一つです。
愛とは執着である…
だなんて!!
今までさんざん愛は最高のものだと教えられてきたじゃない。
「愛は地球を救う」って24時間テレビもやっているし、
「All You Need Is Love」ってビートルズも歌ってるし、
つまり、
執着をすると、人はこの世の中の絶対の決まり事である真理(=人は死ぬということ)に逆らって生きようとする。
でもその真理を変えることは絶対にできない。
だから、苦しむということだ。
私は娘を亡くした。
私は私の娘を亡くした。
私は私の所有物を失くしたという。
思いは確かにある。
が考えてみると、
娘は私の物だったのだろうか?
初めから私の物なのではなかったのではないか?
お釈迦様が説いた愛別離苦の苦しみを乗り越える方法は、
愛・執着が苦しみを生むことを知り、
愛・執着が生まれる原因はこの世の真理を知らないからだと理解すること。そして、この世の真理である諸行無常や諸法無我を知って、執着する心が生まれないようにする。
ということのようだ。
後日、地元の図書館へ行った。
本棚の間を回遊魚のように泳ぎながら、背表紙からインスピレーションを受けて中身を吟味するというのは、至福のひとときだ。
ぴったりの題の本があった。
『執着しないこと』
ペラペラめくると冒頭に、
この本は、仏教が教える「捨てる道」について述べると書いてある。
・執着があらゆる苦しみを生む
この世で永遠に変わらないものは存在しないが、大切なものは、「そのままでいてほしい」と願う。それが執着。
この「執着」こそが私たちに苦しみを与える。
執着すればするほど、楽しみより苦しみが増加する。
・必要なのは「愛情」ではなく、「慈しみ」
慈しみとは分け隔てのないやさしさ。すべての生命へのやさしさ。
と言ってもそれは自己犠牲ではない。
なるほどと納得できた。
「愛」ではなくて、「慈しみ」なのね…
日本人として生まれて、仏教は生活の中に入り込んでいるのに、その本当の教えはよく分かっていなかった気がする。
思い起こせば、ミッション系の学校を出て、英語学習のために教会にも通って聖書も読んだけど、なんか違うなと思ってキリスト教の信仰に入ることはできなかったんだ。
だが今、仏教の教えはスルリと入ってくる。私を救ってくれるのは仏教かもしれないという確信が湧いてきた。
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