-夢や目標など、などについて-

「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」(「えんとつ町のプペル / 西野亮廣」より)



「だいじょうぶ。時計の針はかならず重なるから」(「チックタック〜約束の時計台〜 / 西野亮廣」より)



勝手に励まされて、勝手に励みにしてる、そんなまぬけなわたしのひとりよがりみたいな投稿です。あしからず。

と、ここまでが、他のSNSにもあげた投稿です。

まぁ、noteは、読み物として、長文の記事を書きやすいので、つらつらと。

先ほど、この二冊の絵本を、(キングコングの西野亮廣さんの絵本です)、投稿するのだから、もう一度、ちゃんと読まないと、そう思い、読んでみました。

すると、前に読んだときには、感じることができなかった思いを感じることができました。

例えば、「えんとつ町のプペル」で、人を嘲笑するときの、人々の表情は、まさに、人から嘲笑されているときに見ている、あの表情でした。

このシーンでは、特に、西野さんの思いを感じることができます。

毎時間、きちんと一回ずつ重なる時計の針も、12時にその中央で時計の針が重なる前の、11時台には、一度も時計の針が重なることはない。

その11時台を過ごしている、(と、勝手にわたしが思い込んでいる)、そんな日々なので、さぁ、頑張ろう、そう励ましてくれますし、励みにしています。

似たような話で、ピースの又吉直樹さんの排水溝の話があります。

(近畿大学のスピーチで聞ける話なので、よかったら検索してみてください。)

人生には、じっと排水溝を見つめ続ける時間みたいなものが、必ずある。

それは、わたしにも、あなたにも。

そして、そんな時間を過ごしたあとの、旨味の部分も取りこぼさないように。

そんな話です。

わたしが好きなのは、その「旨味の部分も取りこぼさないように」というフレーズです。

苦労したから、必ず報われる、わけではない、ということを又吉さんは、きちんとその言葉で伝えてくれています。

せっかく努力してきたのに、その旨味の部分を取りこぼしてしまう人も、きっとたくさんいる。

そういう言葉に、わたしには、聞こえました。

だから、わたしも、その時計の針の重なるときの、その旨味の部分を取りこぼさないよう、励みにして、頑張ろうと思います。

まぁ、いうても、西野さんも又吉さんも、わたしは同い年なので、わたしなんかは、かなり出遅れている人間なのですが、人それぞれ、旨味の部分には、個人差がある、ということで、ぼちぼち頑張ります。

必ずしも、成功とか、栄光とか、そういうものが人生のすべてではない、ということは、そのくらいのことは、わきまえておりますし、自分のペースで、自分なりの目標に向かって、過ごしていけたらと思います。

それでは、お互い、ぼちぼち頑張りましょう。

また、秋の夜長に、暗がりの下で。

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