フランス人の友達に『日本人は自分自身に対して”無意識”に生きている』と言われた話
京都に住んでいる時、フランス人の友達に『日本人は自分自身に対して”無意識”に生きているよね』『もっと自分に意識を向けると自分のこと理解して自分を好きなれるのに』と言われたことがあります。
当時は全く理解ができなかったが、アメリカに住んでみて、彼の言ってるいる意味がわかったきたような気がします。
自分自身に対して意識を向ける=自分を知る・自分を好きなれる
私の場合、日本にいる時は自分の意見を持つことなく、人に流れて生きていたような気がします。上司が言ったことに従い、先生が言ったことにはいつも『はい』と言い、正直楽でした。だって、とりあえず従えば、言うことを聞けば、大概のことはスムーズにいくからです。でも、それを続けたばっかりに、自分自身がわからなかくなってきたのです。自分の意見を持つ事を忘れ、自分が何が好きで、何が嫌いで、自分が誰なのかわからなくなってしまっていました。自分に対して無意識に生きていたのです。
アメリカに来た当初はまだ自分に意識を向けることができずにいました。自分の意見をバンバン言ってくる他の国の方に対して、ウンウンと頷くだけ、What do you think about this topic?と聞かれても、答えることができなかったし、自分の意見を述べることができなかったです。『私の意見?って必要なの?』と思っていました。
でも、ラッキーなことに私の友達はほぼラテン系。『嫌いなら嫌い、好きなら好きって言っていいんだよ!』『誰も君を評価することはできないから!』『ミ、アミーガ!スマイルだよ!』っとネガティブな私をいつも励ましてくれました。(なぜかいつもスペイン語を混ぜてくるラティーノ達w)
それから少しずつ、自分の意見を言えるようになり、今では図々しいぐらい自分を思ったことを言うようになって『プッシィー』と友達に言われています(笑)
pushy:この表現は、自分の考えや願望を強引に押し付けてくるような厚かましい人を指し、ポジティブな意味合いは一切ありません。
全くもっていい意味はないのですが、そんな自分も今は好きです。それは私だし、私の個性と思っています。(ポジティブww)
そんな自分大好き人間の私ですが、まだまだ『自分を知る』作業中です。
何かを決断する時は『Why』を自分自身に投げかけています。
なんで嬉しいの?なんで怒っているの?なんで悲しいの?自分の心の声に耳を傾けてみることって大事なのかなと私は思います。
みなさんが少しでも自分自身の事を好きなれますよーに。
自分自身に対して意識して過ごせますよーに。
ではこれで今日はおしまい。