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家族の物語に埋もれて(前編)


ひとりの人生から「家族」による影響を差し引いたら、いったい何が残るのだろう?

人生って、家族がずっと紡いできた物語に、自分の章をひとつ書き足すようなものかもしれない。両親や祖父母、もっと前の世代の人たちが織りなす壮大なストーリーに、自分が新しく登場して、物語の方向をちょっと変えてみる。どこまで変えられるかは、自分の腕次第ってところだ。

でも、僕自身を振り返ってみると、どうも他の登場人物に振り回されるばかりで、物語を変えるどころか、ただ流されていたような気がする。

それも当然かもしれない。何世代も続く歴史の前で、僕ひとりの力なんてあまりにも小さくて、無力だと思えた。自分の中に何か特別な価値があるとは思えなくて、誰かが歩いた道を後ろから辿っていくしかなかった。だから、僕はいつしか両親の人生を真似して生きようと決めた。

僕の両親は同じ国立大学で出会い、結婚した。父は専門職、母は大手企業で働いていて、子ども時代の僕から見ると、2人はとにかく忙しそうだった。朝早くから夜遅くまで働いていて、帰りが深夜になることも珍しくなかったし、出張で数日間家にいないこともあった。

周りの大人たちは両親をこう言って褒めていた。
「ご両親、立派よね。あなたも頑張って勉強して、同じように素晴らしい人生を歩まなきゃね」

両親が褒められると嬉しい。その言葉が嬉しくて、自分も勉強を頑張って、両親みたいに生きなきゃいけないんだと思うようになった。

でも、その一方で、両親のように生きることができるのか不安を感じていた。両親はとにかく忙しかった。家にいない時間が多くて、子どもだった僕はひとりでいることに寂しさを感じていたし、自分自身がどこかないがしろにされているのではないかと思っていた。一緒にいるときも、仕事のストレスで不機嫌そうな様子で、些細なことで怒られることも多かった。

両親の送る生き方は、周りの大人が語る言葉の通り、本当に素晴らしいものなのだろうか?、何か沢山のものを犠牲にしていないだろうか?、何とも言えない不安な気持ちが自分の心の中にずっとあった。

「両親のように生きる」ことへの憧れと、それが「本当に自分にできるのか」という不安。その両方が僕の心を掻き乱した。相反する感情に釘付けとなり、自分の人生をどうしたいのか、ゆっくりと考える余裕を持つことができなかった。

葛藤と向き合うには、僕はまだ幼すぎたのかもしれない。だから、とりあえず不安を押し込めるために、目の前の勉強に全力を注いだ。中学受験の塾に通い、世間では名門と呼ばれる中高一貫校に合格した。試験の結に一喜一憂する日々が何年も続いた。結果的に両親と同じ国立大学に入って、名の知れた大手企業にも就職した。

こうして、子どもの頃に描いていた「両親のような人生」を手に入れることができたところまではよかったのだが、社会に出た後、子どもの頃に見て見ぬふりした自分の中の矛盾と再び出会うことになる。

(後編に続く)

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