『アキラ』~人類の文明を発展させ崩壊させるものとは(1)
大友克洋のアニメ映画『アキラ』を久しぶりに再見しました。第三次世界大戦後の東京の発展と退廃。それを切り裂くように走り抜けるバイクのテールランプが、最高にクールな印象を残す映画です。
(以下は、コミック版ではなく映画版についての記述です。結末まで言及しますので、ご注意ください。)
ストーリー
2019年、第三次大戦後31年を経たネオ東京。高度に発展した都市社会で、反政府ゲリラと軍の衝突が続き、不良少年たちはバイクで夜の街を暴走しています。そんな不良少年の金田と鉄雄は、事故をきっかけに、軍の極秘プロジェクトに巻き込まれていきます。
秘められた鉄雄の能力に気づいた軍は、彼の潜在能力に働きかけ、超人的な破壊力を引き出していきます。軍は、かつて同様の能力を有する「アキラ」の育成プロジェクトを推進したことがあり、その再現を狙ったのでした。
鉄雄はしかし、その破壊力の副作用で、幻覚・幻聴に悩まされるようになり、ついには自らの破壊力をコントロールできなくなります。脱走した彼を確保しようとする軍。金田はそんな鉄雄を救い出そうとしますが、暴走し始めた鉄雄の破壊行為を前に、鉄雄との対決を余儀なくされます。
軍と金田と鉄雄。三つ巴の戦闘による破壊と混沌の中、眠っていた「アキラ」が覚醒。もはや、鉄雄の暴走なのか、「アキラ」の暴走なのか、わからないまま、その力は全てを飲み込み、ネオ東京を崩壊させます。
やり直しの文明
第三次世界大戦後のディストピアというと、『未来少年コナン』のように、過去の失敗への反省の中、文明の発展をやり直していく人類が描かれることが多いと思います。ところが、『アキラ』では大戦の31年後、ネオ東京は大戦の傷跡など見当たらないほど発展し、栄華を極めているかに見えます。
そこでは、どのように「やり直しの発展」を遂げたのかは描かれません。しかし、高度な都市化が進む中で、人と人の抗争が繰り広げられており、その「やり直し」はうまくいかなかったことが示唆されます。
「アキラ」とは
「アキラ」という存在は何を意味するのか。過去に軍が失敗したプロジェクトの対象者であり、彼の神経系統などのパーツが将来の分析のために冷凍保存されていたことが判明します。どうやら、「アキラ」プロジェクトの失敗が、第三次世界大戦による東京の崩壊に関連しているらしいことがわかってきます。
そして、関連すると思われる3人の「老人のような子供」、もしくは「子供のような老人」が登場します。3人も、物理的に触れることなく力を作用させる能力、予知能力、テレパシー能力などを有しており、軍の管理下に置かれています。
「アキラ」に28番という番号が付されていたのに対し、彼らは25番、26番などと呼ばれており、「アキラ」より先行する実験対象者のようです。彼らは「アキラ」のことを「アキラくん」と呼び、「アキラ」について誰よりもよく理解しています。最後の場面で鉄雄を解き放とうとして「アキラ」を覚醒させたのはこの三人でした。
「アキラ」の力の謎
「アキラ」は今や一部の人からは神格化され、退廃したネオ東京を救うべく復活することを祈る人もいます。しかし、反政府勢力の会話から徐々に明らかになる「アキラ」の秘密。
太古の昔、微生物に過ぎなかった人類の祖先。そこから、現在の強大な文明を築いた、その力。その力は、潜在的な能力としてすべての人間のDNAに組み込まれている。その力を何かのきっかけで一気に呼び起こし、超人的な能力を発揮させる。それが可能になったのが、「アキラ」であり、鉄雄だったのです。
つまり、「アキラ」は私たち人類発展の原動力そのものであり、その発展の象徴なのです。「アキラ」や鉄雄がその能力をコントロールできなくなる、その状況は、人類が文明の発展をコントロールできなくなり、破滅の道に突き進んでしまうことを象徴的に意味するのです。 (つづく)
(次回は、『アキラ』に込められたメッセージについて考えます。)