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「アジア太平洋」から「インド太平洋」へ(2/2)

10日、岸田総理大臣は、アジア安全保障会議で基調講演を行い、「自由で開かれたインド太平洋」に向けた取組を改めて表明しました。80年代後半から90年代にかけて形成され定着していった「アジア太平洋」という概念でしたが、国際社会においてインドの存在感が高まる一方で、中国は経済こそ大きくなれど、政治体制は一向に自由化・民主化していきません。その中で登場したのが「自由で開かれたインド太平洋」という考え方でした。リベラル民主主義の国の間では、「中国よりインドではないか」という考え方が強まっていったのです。

「インド太平洋」を発案したのは日本

「インド太平洋」という考え方を最初に提唱したのは日本でした。2007年8月に、安倍総理(第一次)がインドを訪問した際、インド国会において演説を行いました。「二つの海の交わり(Confluence of the Two Seas)」と題する演説の中で、安倍総理は次のように述べました。

「太平洋とインド洋は、今や自由の海、繁栄の海として、一つのダイナミックな結合をもたらしています。従来の地理的境界を突き破る『拡大アジア』が、明瞭な形を現しつつあります。」

そうなのです。「従来の地理的境界を突き破る」考え方、視点として、太平洋とインド洋の結合という捉え方を提案したのです。言葉こそ「インド太平洋」という言葉は用いませんでしたが、これが「インド太平洋」の芽生えだったのです。

さらに安倍総理は、第二次政権発足後の12年12月、"Asia's Democratic Security Diamond" という論文を発表します。ここで、南シナ海における中国の行動をも念頭に、日米豪印の四か国によるセキュリティ・ダイヤモンドを提唱し、インド太平洋の中核となる四か国の協力を訴えます。日米豪印の協力は、それ以前にも事務レベルで行われていましたが、この論文の後、四か国間の協力は加速し、後の日米豪印「クアッド」につながっていきます。

16年8月にケニア・ナイロビで開催された第6回アフリカ開発会議(TICAD)において、安倍総理は「自由で開かれた二つの大洋、二つの大陸の結合」を提唱します。インド太平洋の考え方には、インド洋に面するアフリカ諸国も含まれることを再確認するものでしたが、同時に、これ以降「自由で開かれた」という形容詞が頻繁に付されるようになりました。

アメリカによる賛同と強化

このような日本の発案に、アメリカは賛意を示し、オバマ政権、トランプ政権、バイデン政権と超党派でこのコンセプトを引き継ぎ、強化していきました。

アメリカは、2001年の9・11テロ以降、中東にその体力の多くを割いてきましたが、2010年代に入り、その重点をアジアにリバランスしていきます。オバマ政権下の12年1月の「国防戦略指針」では、「アジア太平洋地域に対するリバランスの必要性」を示しました。

その中で、太平洋から東アジア、インド洋、南アジアまでを一つの「弧」としてとらえる地理的コンセプトを掲げました。この「弧」という表現は、安倍政権の麻生外相が提唱していた「自由と繁栄の弧」を彷彿とさせるものでした。

12年11月には、クリントン国務長官がオーストラリア・パースにて演説をします。そこで、「インド太平洋地域」における米豪関係の協力拡大の必要性を訴えました。

米印関係においては、15年1月、オバマ大統領とモディ首相が「アジア太平洋とインド洋域に関する米印共同戦略ビジョン」を発表し、太平洋からインド洋にわたる地域・海域の発展に協力していくことに合意しました。

続くトランプ政権においてもこの考え方は発展してきました。トランプ大統領自身は、実利中心の考え方であったため、このようなコンセプト外交にはどちらかと言えば無関心でしたが、政権を固める周囲の要人は「インド太平洋」を推進していきました。

17年10月、ティラーソン国務長官はシンクタンクCSISで演説し、「インドとアメリカは『自由で開かれたインド太平洋』のため、地域の繁栄と安全保障を促進していかなければならない」と述べました。これは前年8月の安倍総理演説に明確に賛同するものでした。そして、それに続く12月の「国家安全保障戦略」においても、アメリカは中国に対する警戒感をあらわにするとともに、「自由で開かれたインド太平洋」を追求する姿勢を明確に示しました。

バイデン政権になり、ますますこの姿勢は明確になり、具体的になってきています。バイデン政権は、クアッド(米日豪印)間の協力に積極的に取り組み、バイデン政権成立後は首脳会合も開始されました。また、AUKUS(米豪イギリス)の枠組みも立ち上げ、政治・安全保障面でインド太平洋地域への関与を強めてきました。これに加え、5月のバイデン大統領のアジア訪問では、IPEFインド太平洋経済枠組みを立ち上げ、明確に「インド太平洋」の名称を冠した協力の推進にコミットしたのです。

裏切られた中国への期待

この「アジア太平洋」から「インド太平洋」へのシフトは、国際社会における中国の位置づけの変化を反映しています。

冷戦が終結し、これから新しい国際社会が築かれていくと期待された90年代、経済成長が見込まれる中国は、韓国やASEANとともに、世界の重要なパートナーになっていくと期待されました。アジア太平洋の枠組みはまさにそれを体現するものだったわけです。01年には、各国は中国のWTO加盟を認め、また北京オリンピック('08)の開催も決定するなど、各国は開かれた中国を期待していました。

予想通り、中国は急速に経済成長を続け、豊かになっていきましたが、政治面での期待は裏切られました。一向に政治体制が民主化しないどころか、対外的にも南シナ海での現状変更を進めるほか、台湾や香港への締め付けを継続強化していきました。「一帯一路」構想には多くの中小国が魅かれましたが、結局は債務漬けになって重要インフラへのコントロールを中国に奪われることになりました。

「インド太平洋」につけられる形容詞「自由で開かれた」には、このような中国の姿勢への批判がこめられています。中国国民のためにも、中国が自由で開かれた国になってほしいと心から思いますが、まだまだ時間がかかりそうです。中国に対する警戒心を抱きながら、国際的な協力を進めなければならない現状を、非常に残念に思います。


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