マイノリティ、むずい

今日のゼミの時間は、外部講師の講演を聴きました。テーマは、「性別から考える多様性と人権」です。
簡単に言えば、LGBTQやセクシュアリティについて。

感想を端的に述べるとするならば、すっごく面白かった。爆笑って意味じゃなくて、興味深いのほうの面白い。

私は現在適応障害と不安障害の当事者(つまりその分野ではマイノリティ側)です。ほかのマイノリティの話はとっても興味深い。

講演中、刺さる言葉がたくさんありました。
今回の記事は箇条書きになることが多いと思います。お許しを。
早速、まとめていくよ。

《学んだこと》
・多様性を認め合うために、まずは知る/感じること。その土台があるから当事者の立場や考えを想像できる。想像できると自分の行動を変えられる。
当事者はこう言われたら嫌な気持ちになりそう、じゃあこれからは言わないようにしよう、など。
LGBTをきちんと知らなかったら無意識の差別に気づけない。

・性別の形は「男」「女」だけではない。いろんな形が尊重されるべき。

・性別や性的指向は、自分がしっくりくる言葉を使って良い。

・子どもの性同一性障害の診断は難しい。子どもはまだ未確立な部分がある(そもそも確立なんてしなくていいんだけど)し、表現も豊かとはいえないから。だから、とにかく傾聴する。「今そう思うんだね」と肯定する。子どもを助けるためのヒントは子どもの言葉の中にある。

・同じ性的少数者でも、必要とする支援は違うかも。「性的少数者」に対してどうするかではなく、「その子ども」に対してどうするかを考える。

・今まで出会った人のなかに絶対いるはず。いないんじゃなくて見えてないだけ。
言えない空気が勝手に作られる。無意識のうちに発するネガティブメッセージに敏感だから言えないだけ。

・関連用語の意味。新しく知ったのは、アウティングとSOGI。


《考えたこと》
・マイノリティであることをカミングアウトする話。自分の精神疾患カミングアウトを思い出した。ボランティア仲間で聞いて受け入れてくれた人がいるのはめぐまれているんだなあと再認識。みんな受け入れすごく早かった。

・アウティングについて。初めて触れた言葉。本人の許可なく、カミングアウトの内容を他者に話すこと。
私がカミングアウトした子たちはみんなアウティングしないでいてくれてる。ちゃんと思いやる素地がある子たちなんだなあと感心、そして尊敬と感謝。

・言えない空気がはびこっていることについて。たしかに。マジョリティ側はいきなり言われたら動揺しそう。出会ってすぐ、「実は私○○なんだよねー」なんて言われたら反応に困る。
→これがすでにおかしいのでは。だって左利きの人見てもそうならないもん。
この左利きみたいに、言われて動揺する、または付き合い方やかける言葉に迷いが生じることがないことが当たり前になればいいね。
過渡期の今、マジョリティ側から「理解あるから言ってくれていいよー」って出会った瞬間に示すの難しい。私は当事者じゃないからこそ知りたいし、無意識に何かしてしまっているなら指摘してほしいし、マイノリティがいるのが当たり前って思っていたいし、何よりそんなの関係なく普通に友達になりたい。
対話のなかでお互いを信頼していくしかない?信頼を得るしかない?普段の発言気をつけよ。

この項目は見る人によっては不快になるかも
マイノリティ側の人、「理解してほしい」ばっかりな気がする。もちろん悪いことじゃないしむしろ良いことだしそうするべきなのかもしれないけど。そして私自身もそういうきらいがあるから人のこと言えないけど。
もちろん、多数側が少数側の理解をすることは大事。歩み寄るのも大事。
でも、「歩み寄ってもらって当たり前」「多数派が動いて当たり前」にはなっちゃいけないと思うのね。
一方的に「理解しろよ」なんて言っても人間動かないから。反発されるか半端な知識で知った気になるかの2択だから。
→「理解してほしいな、知ってほしいな」という気持ちのそばに、「少数派が多数派を理解し歩み寄る」ことも大事なのかもね。だって「普通に接してほしい」「健常者と変わらないように過ごしたい」んでしょ?だったら、「普通の人」と同じような歩み寄りの姿勢を、「普通の人」に対してもつのが良いんじゃないかな。
多数派の気持ちも考える。言われてびっくりする気持ちとか、少数派の本人のことが大事だからこそ受け入れるのに時間がかかる気持ちとか、当事者じゃないからどうしても理解しきれない部分がでてくるとか、言葉だけじゃ伝わらないとか。
「自分がマイノリティで苦労しているのに、そんなことまで気遣わなきゃいけないのか」と思うかもしれないけど、自分が多数派側のものだったら、少数派の考え方や困りごとは絶対わからないよ。今回講演をしてくださった人は、私の精神疾患の辛さなんて絶対わかんないもん。わたしの病気の分野だったらあの方は多数派だもん。わかるわけないんだ。
→表面化する問題(学校へ行きにくいとか少数派という事実とか)、共通点はあるかもしれないけれど、それでもやっぱり理解できないよ。理解しているつもりになっているだけだよ。それが一番怖いんだ。
→「わかってよ」と一方的に押し付けるのではなく、多数派がどうしたらわかるのか、もしくは「受け入れるのに時間がかかるんだな」と、こっちも知る。
「わかってくれない」という「健常者・多数派への偏見を持たない」ことが、今の私の喫緊の課題だと思った。

・LGBTQと聞くと、少数派のことを言うように感じる。体と心の性別が一致している人たちには「シスジェンダー」、異性愛には「ヘテロセクシュアル」と、同じようにきちんと名前がある。それを知ることで、少数者が特別という意識が少しは減るのでは?多数派を表す言葉が「普通」しか一般的でないことが問題かも。
→当事者意識がないと、LGBTQなどを学んでも意味がない。

・話のなかでトイレのことがあった。男女別が嫌だと。兼用トイレをつくる?そもそも分けない?
→今の日本で分けないシステムを導入すると、性犯罪のリスクとか色々つい考えちゃう。異性恐怖症の人はどうするんだろうとか。私が知らないだけで色々考慮されてるのかしら?知ってる人教えてください。

・性別の考え方は本当に変わってきた。これから日本も変わっていくのかな?


ざっとこんな感じ。
私のマイノリティ観みたいなものが色濃く出たnoteになっていると思います。
長い記事を読んでくれてありがとうございました。