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【オチなし話】雑です、大坂さん2「グリコじゃんけん」(3812文字)

1年を24に区切り、それぞれに呼び名をつけたものを二十四節気と呼ぶらしい。そして、その二十四節気のひとつずつをさらに3つに分けて、1年を72に区切ったものを七十二候というそうだ。

今日は二十四節気でいえば、立春にあたる。
七十二候でいうと、魚氷上(うおこおりをいずる=春が近づき薄くなった氷が割れて魚が顔を出して氷の上に上がってくるという意味)の最初の日になる。だが、寒い日々はまだまだ続きそうだ。今日も何かがも起きることなく一日は終わり、変化のない平凡な日常は連綿と続いていく。
とにかく、色々な意味で、僕に春の訪れはまだまだ遠いように思えた。
 

「東くん。ちんたら歩かんと、はよ来いや。女の子を待たせるて、どういう神経してるんや」

ため息をつこうしたら、僕の先を歩ていた大坂さんの呼ぶ声がした。
灰色の枯葉がまるで敷き詰められたような土の道。
小高い丘の上にある稲荷神社に上る石段の前に、左手に学生カバンを持った彼女は右手を腰に当て、足を少し開いて立ち、僕を睨んでいる。

いや、大阪さんが勝手に先へ先へと歩いて行ったからじゃないか、と言いたいのをぐっと我慢する。
言えばその3倍は言い返されて、やり込められそうな気がしたからだ。
勝てない勝負はしない、それが僕の数少ないポリシーなのだ。

学校の帰り道、なぜ大坂さんと僕が寄り道をし、この町にある稲荷神社に来たのかといえば、もちろん言い出しっぺは大坂さんだ。

今日の昼休み、「東くん、関西と関東ではいなり寿しの形が違うって知ってる?」と、大坂さんが唐突に言い出した。
「へぇ、そうなんだ」と僕。
「関東は俵型。諸説あるけど、これは奉納する米俵の形にちなんでるんやて。一方、わが関西は三角形やね。これも諸説あるけど、伏見稲荷大社のある稲荷山の形を表しているといわれてるねん。そやけど最近はスーパーの総菜コーナーでも、俵型のいなり寿しが大きな顔をして来てるんやなぁ・・・」
口惜しそうに言う大坂さん。
なぜか関西、というか大阪の人は東京に対して強いライバル心を持っているように思える。
もっとも東京の人は、さほど大阪を意識していないのだが。

少し間をおいて、「あ、そうや」と大坂さんが、ポンと手を打って言った。
「東くんは、町のお稲荷さんとこにお参りに行ったことないやろ。ここでいなり寿しの話題が出たのもなにかの縁や。今日の帰りに寄れへん?ほな、決まりな」
大坂さんは僕の意見を聞く気など、かけらもなかった。

というわけで、今、僕たちは稲荷神社へと続く石段の前に立っている。
段数はあまり多くなさそうだが、勾配は少し急だ。

「何段くらいあるんだろう?」
「72段」
僕の疑問に大坂さんは即答。きみ、なぜ知ってるの?
「まぁこれくらいは考現学研究部の幽霊部員として、知ってて当然のことやし」
と胸を張る大坂さん。それほど威張ることではない。
 
考現学とは、早稲田大学教授の近和次郎を創始者とする日本独特の学問である。どのような学問か説明すると長くなるので割愛するが、大坂さんはその考現学を研究するクラブに、クラブ存続の人数確保のために名前を貸している幽霊部員なのだ。

「せっかくやし、『グリコじゃんけん』して石段を上がれへん?」
大坂さんが言った。なにがせっかくなのかわからないが、断る理由もなかったので、つきあうことにした。

『グリコじゃんけん』とは(知らない人はいないだろうが)、じゃんけんをして、グーで勝てば「グ・リ・コ」と3歩進み、チョキで勝てば「チ・ョ・コ・レ・イ・ト」と6歩進み、パーで勝てば「パ・イ・ナ・ッ・プ・ル」とこれまた6歩進めるというルールのものである。
誰がいつ考えだしたたのかはわかないが、グリコとあるので、グリコが商品化された後のものだということぐらいは僕も想像がついた。

「そしたら、やろか。じゃんけん、ポン!」
僕はチョキ、大坂はさんはグーだった。
グーで勝っても3つしか進めない。狙うならパー、もしくはチョキで勝つ機会を多くすることが大事だと思ったのだが、大坂さんは意外にも手堅い選択をした。

「わぁ、あたしの勝ちやね。ほな、お先に」と大坂さんは石段を軽やかの上がった。
「エ・ザ・キ・グ・リ・コ、っと」
「ちょっと待って!グーで勝ったらグ・リ・コで3つだよね。なんで企業名を前につけて6段も上がるのさ」
大坂さんはきょとんとした顔で、「ふうん、東くんが住んでたとこはそういうルールなんや」としらばっくれた。
いやだいたい日本中がそうだから。大坂さんが今したのは確実にズルだから。
「とにかく、ちゃんとしたルールでやり直して」
「堅いなぁ、自分。はいはい、わ・か・り・ま・し・た」
大坂さんはやれやれとばかりに頭を振りながら、降りてきて、もう一度やりなおす。
「グ・リ・コ・の・お・ま・け、っと」
「むしろさっきより増えてるよね!それ、関東の一部で使われる言い方だよね!言ったよね、グ・リ・コだって!大坂さん、ちゃんとしましょ」
「東くん、今のツッコミはちょっとだけ良かった。そのツッコミに免じてグ・リ・コにしたげる」
にっこりとほほ笑む大坂さん。この人、絶対に僕をからかって楽しんでるよ。

ジャンケンに必勝法は存在しない。あるのは運だけだ。
しかし「グリコじゃんけん」においては、いかにパーやチョキで勝つかが重要なポイントになる。かといってパーやチョキばかり出していては手の内が見透かされてしまうので、いかにグーを出すタイミングを調整するかも重要なのだ。

お互いにいい勝負だった。二人とも差が開くことなく階段をあがっていき、ともにあと6段を上ればゴールというところまで並んだ
一気に勝負に出るか、それともグーをだして相手の意表をつくか。
ちょっとした頭脳戦だ。
 
最初はお互いにグーで引き分けだった。考えることは同じか。
そして次はパーで、また引き分けになった。それなら次に出す手は・・・。
「なん・・・やて・・・」
うめくように声をだしたのは大坂さんの方だった。
僕の出したのはチョキ。大坂さんはまたパーだった。
「チ・ョ・コ・レ・イ・ト。これで、僕の勝ちだね」
「あちゃー。てっきりグーを出すと思ったのに。チョキをだすかぁ。負けたなぁ。しかし、ええ勝負やった。まるでモハメッド・アリとジョージ・フォアマンの名勝負のように」
満足げにうなずく大坂さん。うん、その例え、確実に僕に伝わってないよ。

「では、買ったご褒美をしんぜようぞ」
時代劇のお殿様のように大仰なセリフを言うと、大坂さんは持っていた学生カバンを開けた。
「え、ご褒美?」
「そう。もし最後に東くんがグーで買ったらグリコのキャラメルを、パーで買ったらパインアメをあげようと思ってたんや」
「そこはパイナップルじゃないんだ」
「パイナップルが学生カバンにはいるわけないやん。で、東くんはチョキで勝ったからな。はい」
と大坂さんは花柄の紙で包装された箱を差し出した。
「チョキやからチョコレートな」

今日は、立春、魚氷上の最初の日。西暦で言えば2月14日。
いわゆるバレンタイン・デーと呼ばれる日。

小学校以来、女の子からバレンタイン・デーにチョコをもらったことがない僕は、経験値不足でどう言っていいのかわからず、結局、小さな声でモゴモゴと、これはけっこうなものをどうも、とピント外れなことを言うといった実に閉まらない反応しかできなかった。
「念のため言うとくけど、これ、1000%義理やから、勘違いせんように。絶対に勘違いせんように。大事なことやさかい、2回言いました」
大坂さんは言った。

そのあと、少しぎこちなく僕たちはお稲荷さんにお参りした。
手水と拝礼の作法は、ワンテンポ遅れて大坂さんのマネをする。
なぜだか大坂さんはこういうことに詳しい。
お稲荷様へのお願いごとはなかったが、大坂さんがわざと聞こえるように「ホワイト・デーには3倍返しで、豪華なお返しが東くんから貰えますように」と言ったので、あわてて、どうか金運がありますようにと心の中で祈った。

その夜、大坂さんから貰ったチョコレートの箱を、勉強机の引き出しの奥にそっと入れながら、ふと思った。
今日、たしか彼女は引き分けになると、必ずといっていいほど次は引き分けた手に対して負ける手を出してきていたのではなかったか、とー。
 
つまりチョキで引き分けたら、次はチョキで負けるパーを出すのだ。
これは相手がチョキで引き分けたら次はチョキに勝つグーを出す可能性が高いという、過去の経験からくるものか、勝つ確率を少しでもあげるための彼女なりの必勝法をもっていたのではないか。
事実、引き分けになった後の大坂さんの勝率はかなり高かったはずだ。
 
それなのに最後の勝負、グーで引き分けた後、大坂さんはチョキを出すべきはずが、パーを出してきた。
そしてパーで引き分けた後も、同じパーを続けて出してきた。
彼女の必勝法を無視した出し方だった。
それはあたかもチョキで負けることを期待していたかのように・・・。

そこまで考えて、「いやいや、ないない。それはない」と僕は自分に言い聞かせる。あまりにも偶然に頼りすぎじゃないか。

とにかく3月15日に、大坂さんが気に入るようなお返しをしないといけないという大きなミッションを課せられてしまった。これはかなりの難問だ。
どうしてこの世は、男が苦労をするようにできているのだろうか?

あっという間に冬が終わって春がやってきそうな気がし、その夜はなかなか寝つけなかった。


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