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いだてん噺

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2024年9月の記事一覧

[いだてん噺]二十三日間01(1266文字)

 絹枝とマネージャーの黒田乙吉、通訳のマルチソンの3名を乗せた車は市の中央にある森林公園の間を縫って進み、20分ほどしてスロットスコクス競技場の正門前に着いた。

 開催国スウェーデンとともに日本の国旗が翻っていた。
 絹枝が外国選手の到着第1陣だった。

 3人が事務所に行くと、大会委員会の面々はすでに顔を揃えていた。
 通訳のマルチソンが、大会委員長のドクトル・リリエに絹枝を紹介した。

 尚

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[いだてん噺]エテボリー(1337文字)

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)

 絹枝の自伝にはそう書かれている。7月8日から一ヶ月近くをかけて8月4日、絹枝はようやくスウェーデン第二の都市、エテボリーに着いたのだった。

 昨日、スウェーデンの首都ストックホルムで、日本公使館の者から、『日本の東京がこのストックホルムだとすれば、明日あなた達の行くエテボリーは大阪のような工場市です』と絹枝は聞かされていた。

 だ

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[いだてん噺]モスクワ滞在(2/2)(1137文字)

 森林公園の中にある運動場では、マトロスモク所長とシケルバコ書記長が手配したのであろうか、5名の女性が絹枝と一緒に走るために待ってくれていた。
 さっそく絹枝は練習を始めた。

 2時間ほど練習したあと、黒田乙吉の家に戻り、その日の夜は11時過ぎに床についた。
 ロシアに対して誤った先入観を持っていたことを、絹枝は反省するのだった。

 1926年(大正15年)7月31日の朝。絹枝に、体育会議所か

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[いだてん噺]モスクワ滞在(1/2)(1357文字)

 1926年(大正15年)7月29日ー。
 モスクワについた絹枝は、大阪毎日新聞社モスコー(モスクワ)特派員の黒田乙吉に案内されて、ホテルに入った。

 久しぶりにまともな風呂に入れた絹枝だが、ホテルは翌日早々に出て、黒田乙吉の家に入っている。
 自伝で、以下の様に記しているが、ひとりきりでホテルの部屋にいるのは不安であったのだろう。

 練習がしたいと願う絹枝は、黒田乙吉と共に、町の各種旅行者案

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