[いだてん噺]モスクワ滞在(2/2)(1137文字)
森林公園の中にある運動場では、マトロスモク所長とシケルバコ書記長が手配したのであろうか、5名の女性が絹枝と一緒に走るために待ってくれていた。
さっそく絹枝は練習を始めた。
2時間ほど練習したあと、黒田乙吉の家に戻り、その日の夜は11時過ぎに床についた。
ロシアに対して誤った先入観を持っていたことを、絹枝は反省するのだった。
1926年(大正15年)7月31日の朝。絹枝に、体育会議所から電話がかかって来た。
今日も公園で練習が可能なので来てください、とのことであったが、この日の夕方に出発する予定なので練習はできませんと絹枝は、残念だが断ったのだった。
7月31日の午後10時半。絹枝はレニングラード行の汽車に乗る。
今回の同行者は黒田乙吉であった。
列車の中、黒田乙吉は英語で書かれた競技の本を開き、勉強を始めた。
陸上競技などについて、少しも分からなかったが、会社からマネージャとして絹枝に同行するよう言われ、勉強をし始めていたのだった。
絹江らが目的地のエテボリーも到着したのは、1926年(大正15年)8月4日であったー。
(敬称略)
■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』 三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』 鈴木明:著
●『オリンピック全大会』 武田薫:著
●『陸上競技百年』 織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia
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