記事一覧
[いだてん噺]世界女子競技大会第二日目03(2452文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて25日。
1926年(大正15年/昭和元年)8月28日、第2回世界女子競技大会第2日目。
走り幅跳び、最後の6回目を前にしてー。
イギリスのガン選手が勝つか、日本の人見絹枝が勝つか。
7万の観衆の興味はその一点に注がれていた。
選手たちも日英の二手に分かれた。
日本の絹枝の方には、スェーデンの選手はじめ、チェコ、リトアニア、ポーランド、ベルギーの各
[いだてん噺]世界女子競技大会第二日目02(1605文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて25日。
1926年(大正15年/昭和元年)8月28日、第2回世界女子競技大会第2日目。
前日の250メートル走の結果にこりて、絹枝は当初エントリーしていた槍投げを棄権することを選んだ。
午後5時55分に、走り幅跳びの予選が始まった。
日本では5メートル75の記録を出した絹枝であったが、この競技場での練習では、5メートル50~60以上を出せていな
[いだてん噺]世界女子競技大会第二日目01(1414文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて24日。
1926年(大正15年/昭和元年)8月27日、第2回世界女子競技大会第一日目が終わった。
今大会では、1位から4位まで順に、5点、3点、2点、1点が与えられた。
絹枝は、100ヤードが3位であるので2点が、円盤投げは2位であるので3点が与えられ、この日で5点を獲得している。
大会第一日目の夜、この日の成績に満足しながら、絹枝は1時間ほどマ
[いだてん噺]世界女子競技大会第一日目02(2502文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて24日。
1926年(大正15年/昭和元年)8月27日、第2回世界女子競技大会第一日目。
百ヤード走決勝、スタートから60メートルまで、7名の選手全員が一線に並んだ。
それが崩れたのは、60メートルを過ぎてからであった。
予定通りであるかのように、絹枝が優勝候補と見ていたフランスのラジドーとイギリスのトムソンが抜け出して突進していった。
絹枝はイギ
[いだてん噺]世界女子競技大会第一日目01(1477文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて24日。
1926年(大正15年/昭和元年)8月27日、第2回世界女子競技大会第一日目。
人見絹枝が最初に参加したのは、午後6時からの100ヤード走第一予選であった。
100ヤード走の参加者は19名。第一予選で各組の2着までが決勝へ進める。
絹枝はイギリスのハイネス選手と同じ第三組(6名参加)で、第一予選に臨んだ。
6名の選手はスタートして20
[いだてん噺]世界女子競技大会開催(2077文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて24日目。
1926年(大正15年/昭和元年)8月27日、第2回世界女子競技大会開催日。
絹枝が暖かいベッドの中で目覚めたのは午前11時を過ぎていた。
起き上がって部屋のカーテンを引く。窓の下に見える街は真昼間の表情を見せていた。
起きて来た絹枝に、隣の部屋のマネージャーの黒田乙吉が、にこにこ顔でこう言った。
「ほう!起きたかね。死んだと思ってい
[いだてん噺]大会前日(3957文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて23日目。1926年(大正15年/昭和元年)8月26日、第2回世界女子競技大会開催の前日。
朝から絹枝は、マネージャーの黒田とともに、必要なものを揃えるため、買い物に出かけた。
絹枝が日本から履いてきた靴は、バンケット(晩餐会/パーティ)等に履いていけるものではなかったため、靴店に買いに入った。
自分の足にあう靴がはたしてあるのだろうか、と心配していた
[いだてん噺]二十三日間13(1235文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて22日目の8月25日。
『久しぶりの好天気』と絹枝は自伝に記している。
朝食をとる為、ホテルのレストランに行こうとした絹枝は、到着したフランス選手団9名の姿を見た。
世界女子競技大会 会長のアリス・ミリアも、フランス選手団と一緒にいることにも気付いた。ミリア会長も絹枝に気付く。お互い直接会うのは初めてであった。
ミリア会長は絹枝に、『午後5時半から
[いだてん噺]二十三日間12(1615文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて21日目の8月24日の朝。
絹枝が目を醒ますのを待ちかねていたかのように、マネージャーの黒田乙吉がやって来て、23日に到着したリトアニアの選手について、絹枝に知らせた。
なぜ絹枝は、リトアニアの体育会長の言葉を聞いて、涙をにじませたのだろうか。
以下では、絹枝が背負っている責任感の重さに比べて、「羨ましい」という感情から来ていたとしている。
24
[いだてん噺]二十三日間11(1308文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて16日目の8月19日から19日目の8月22日までの期間、絹枝は特に何も記していない。
雨で練習ができなかったからかも知れないが、8月18日の次は、8月23日の記述になっている。
8月23日には、『待ちにまった他国の選手がいよいよ』やってきたと記されている。絹枝はマネージャーの黒田乙吉と出迎えに行っている。
午後から絹枝は練習に出かけたが、『この間からの
[いだてん噺]二十三日間10(1116文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて15日目、8月18日。
第2回世界女子競技エテボリー大会の開催日まで10日を切ったこの日、マネージャーの黒田乙吉から「もうそろそろ練習も終ってゆかねばならぬので、無理をしないように」と注意を受けた絹枝は、今日と明日で猛練習はひとまず止めることにして、いつもより早く運動場に出かけた。
記録が延びずに焦燥感の募る走り幅跳びに比べ、円盤揚げは好調を持続しており
[いだてん噺]二十三日間09(810文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて11日目から13日目、8月14日から8月16日の3日間、絹枝は脚の痛みなどの為に、練習を休んで休養につとめている。(3日間、マッサージも受けていた)
自伝に『元気恢復した』と書かれている8月17日の午後1時から練習を再開している。
天気の良い日で、『スウェーデンに来て以来、こんなに気持ちのいい日は初めてだ』と自伝に記されている。
数日間休んだためか、ス
[いだてん噺]二十三日間08(1280文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて10日目、8月13日。
8月10日から痛みがあった『前股筋が痛んで仕方ない』と絹枝は自伝に記している。
この前股筋の痛みは、前年の10月1~3日に開催された、第2回明治神宮競技大会の前日に、あまりにも過度な練習をしたために痛めたもので、『少し練習が過度になると必ず出て来る』というものであった。
黒田乙吉が止めるのもきかずに、絹枝は練習に出た。
少々の
[いだてん噺]二十三日間07(1239文字)
スウェーデンのエテボリーに着いて9日目、8月12日。
『昨日一日の休みをとったので今日は大変元気がいい』と絹枝は自伝に記している。
但し、長い列車の旅の影響か上歯全部が浮いているような気がしており、この日の朝食を終えた後には、上顎の臼歯が痛み出し、歯科医で応急手当を受けている。
また円盤投げは、初めて取り組む競技なので、勝手がわからないながらも、成果は出ていた。
円盤投げの方が