[いだてん噺]二十三日間08(1280文字)

  スウェーデンのエテボリーに着いて10日目、8月13日。

 8月10日から痛みがあった『前股筋が痛んで仕方ない』と絹枝は自伝に記している。
 この前股筋の痛みは、前年の10月1~3日に開催された、第2回明治神宮競技大会の前日に、あまりにも過度な練習をしたために痛めたもので、『少し練習が過度になると必ず出て来る』というものであった。

 黒田乙吉が止めるのもきかずに、絹枝は練習に出た。
 少々の痛みで練習を休むわけにはいかなかった。
 しかし絹枝の気持ちに反して、天気の方はこの2,3日、驟雨に日が続いており、練習がしにくくて困る、と自伝で記している。 

 毎日通る森の木があちこち紅葉しかけた。白樺の幹がことさらに目立って白くなってゆく。もう秋が来たのだ。
 
 曇りては 雨もようおしけり 昨日今日
   秋のみ空の あわただしさは
 
 走り幅跳びをやりかけたが、助走路が雨のために軟らかいのと、脚の痛いために踏み切りさえ満足にできない。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 但し、円盤投げの練習では大いに得るものがあり、この日、『三回目の円盤投げの練習で頭にピンと響いたところがあって、一種の要領を得ることが出来た』と絹枝は記している。

 要領を忘れないようにと、絹枝は3回続けて円盤投げの練習を行った。

 もう大丈夫。私は嬉しくて、仕方がなかった。
 そうして肩に無理をせずともターンは滑らかに出来だした。
 
 また円盤が手からはなれる時の要領のヒントを十分得ることが出来たのである。しめたものだ。明日からは一日一日といいレコードが出るにちがいない。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 練習を早めに引き上げて、ホテルに戻り45度くらいのお湯に身を沈め、しきりに前股筋を揉んでみるが、まだ痛みは続いていた。

 心配になった絹枝は、黒田乙吉に前股筋が痛むことを話したら、黒田は、『このくらい何でもないから』と、約1時間ほどマッサージをしてくれた。

 筋が切れたかと思われる程痛かった。
 マッサージが終わると、私は泣き泣きベッドの中に入った。
 こう痛くては練習をしばらく止めなければと心配になる。

『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著

 絹枝は翌日の8月14日から8月17日まで練習を休んでいる。

(※都市名は、人見絹枝自伝に記されているエテボリーに統一)
(敬称略)


■参考・引用資料
●『人見絹枝―炎のスプリンター (人間の記録)』人見 絹枝:著、 織田 幹雄 ・戸田 純:編集
●『二階堂を巣立った娘たち』 勝場勝子・村山茂代:著
●『はやての女性ランナー: 人見絹枝讃歌』  三澤光男:著
●『短歌からみた人見絹枝の人生』 三澤光男:著
●『KINUEは走る』 著:小原 敏彦
●『1936年ベルリン至急電』   鈴木明:著
●『オリンピック全大会』   武田薫:著
●『陸上競技百年』      織田幹雄:著
● 国際女子スポーツ連盟 - Wikipedia アリス・ミリア - Wikipedia

いいなと思ったら応援しよう!

はーぼ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?