教員のやりたい仕事は要らない
教員の仕事に対する様々な不満の中で『事務作業や校務分掌の負担が大きくてやりたい仕事ができない』という声をよく聞く。
しかし私は、『やりたい仕事』とはなんだろうか?と思ってしまう。
詳しく話を聞いてみると、『やりたい仕事』というのは授業準備に関する仕事であることがほとんどであった。
しかし、その状況でも教員たちは毎日授業を行っていて、学校にとっても子どもたちにとっても大きな問題とはなっていない。
このことから、教員らの言う『やりたい仕事』のほとんどは、組織や子どもたちにとっては不要な仕事なのではないだろうかと考える。
仕事は本来やりたい、やりたくないに関わらず必要に応じてするものだ。
これは受動的に仕事をするという意味ではなく、必要だから仕事があるということだ。
やりたい仕事ができないと言っている教員は、そもそもの仕事の捉え方が間違っている。
おそらくその間違った捉え方は、若手教員や教員を志す者の多くにも受け継がれている。
だから、教員になってからのギャップに苦しむのだ。
しかし、仕事を楽しむ事は、とても大切なことだ。
ただ、楽しむには技術や経験が必要であり、それらを得るには努力が必要であり、更にそれを継続するには情熱が必要である。
これは教員に限ったことではない。
スポーツも初心者よりも、熟練者の方がそのスポーツをより高度に楽しめるはずだ。
音楽もそうだし、仕事も同じなのである。
どんなに時間がなくて準備不足であろうと、教員自身が楽しんで授業を行っているとしたら、そう思えるにようになるまでに、並ならぬ努力をして、なお情熱をもって仕事をしている者であろう。
『やりたい仕事ができない』などとボヤいている者に、このような情熱や努力を感じた事はほとんどない。本当にやりたい事がある者はやることをしっかりやった上で、黙ってやっている。
このセリフを言う者は、ただマイペースに仕事をしたいだけだ。
教員は他の仕事に比べて、自身の仕事に関して大きな裁量を与えられているから『マイペースに仕事ができる』というぬるま湯に浸かりきっているのだ。
やりたい仕事などそもそもない。
楽しい仕事は極めて得難いものである。
『やりたい仕事ができない』とボヤく者は、まず与えられた『必要な仕事』を定時までに終わらせて帰宅することから始めるべきである。
無理に楽しむ必要はない。
仕事はそれ以上でもそれ以下でもないのだから。
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