安らぎを感じられない教員は要らない
我々にとって安らぎは必要不可欠である。
日々の忙しさや辛い出来事に晒され疲弊した心に潤いと癒しを与えて、明日への活力に変えてくれる。
この安らぎに感謝と幸福を感じずにはいられない。
家族や大切な人と共有することで、その相手とも相互に感謝し、幸福を感じ合い、それらは更に倍増する。
安らぎを感じられる心は、きっと優しい心であろう。
人と安らぎを共有できるのであれば、そのような人間にとって、社会性やコミュニケーション能力などという尺度は大した価値はない。
安らぎを共有することこそが絆そのものなのだから。
子どもたちにはこのような安らぎがあるだろうか?感じられているだろうか?
安らぎはコントラストによって変わるものではないだろうか。
真っ赤な背景であれば、白は映える。
しかし、真っ白のキャンバスに白を塗っても、白を感じることはできない。
子どもたちの生活の背景は何色だろうか。
中には厳しい状況の子どももいるだろう。
しかし、多くの子どもの生活からは、ありとあらゆる困難が排除され、
背景は真っ白になってしまっているのではないだろうか。
安心安全を重要視するあまりに、このコントラストの効果をを見落としてはないだろうか?
子どもたちにも、白を塗るための最低限の背景色が必要ではないだろうか?
不安、心配、緊張、焦り、苦痛、
安らぎへと誘うために、周りの大人たちはこれらの感情をもう少しポジティブに受け止めるべきではないだろうか。
もちろん程度問題ではある。
友達とケンカをしてしまった。
友達に無視された。
皆の前で恥ずかしい思いをした。
心に傷を負ったときこそ、教員はその子に安らぎを与えてあげなければならない。寧ろその好機だと考える程でなければならないとすら思う。
子どもに安らぎを与えられない保護者は、
トラブルの相手方の子どもを攻撃し、
トラブルの多い子ども同士は席を離せと言い、
クラスを別々にしろと言い、
それが通らなければ転校すると言い、
安らぎを与えられない教員たちは言われるがまま、なされるがままとなり、
しかしその裏では「厳しい人間関係を生き抜く力が身につかない」などと言っているのだろう。
しかし、そんな力は誰ももっていない。
それらを乗り越え生き抜くのに必要なのは安らぎだけなのだ。
だから教員は日々安らぎを感じることが大切だ。
最重要事項なのだ。
安らぎを感じられない人間が、人に安らぎを与えられるはずはないのだから。
安らぎを感じることがないのなら、授業の準備や教材研究をしている場合ではない。
自分の安らぎを探すことの方が重要だ。
その方がよっぽど子どもたちのためになるはずだ。
安らぎに気付けない子どもたちは、そのまま安らぎを感じられない大人になってしまうのではないか。
そんなことを言いながら、我々はすでに安らぎに無頓着になっているのではないか。
安らぎを大切にしたいものだ。
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