あいさつの意味を教えない教員は要らない

どこの学校でも、あいさつについて指導をしない学校はないだろう。
朝は元気にあいさつをしよう!と子どもたちに話をしているはずだ。

小学校低学年の子は、空間が歪むくらいの大きな声であいさつをするし、中学年や高学年になると声は小さくなる子が増え、中にはあいさつをしない子も出てくる。

ほとんどの教員たちは、子どもたちに会えば、見本となるように元気にあいさつをする。
あいさつをせずにすれ違おうものなら、ついて行ってあいさつが返ってくるまで何度もあいさつをしたり、最終的には「なんであいさつしないの?」と指導が始まったりするのは良くある光景だ。

そして、子どもたちは疑問を持つ
『なぜ、あいさつをしなければならないのか?』

道徳の授業でも、あいさつや礼儀をテーマにした教材が定期的に扱われ、
あいさつをすることは『気持ちのいいこと』としてまとめられる。

本当にあいさつが『気持ちのいいこと』なのであれば、大人も子どもも関係なく、友達も他人も関係なく、自ら進んであいさつをするはずである。

しかし、現実はそうではない。
つまり、あいさつは『気持ちのいいこと』はウソである。

あいさつは『されると気持ちのいいこと』である。

更に言うと、あいさつは『相手に気持ち良くなってもらうためにすること』である。

だから、気持ち良くさせたくない、又はさせる必要のない者にはあいさつなどしないだろう。

そして、あいさつはフラットな関係と上下の関係によっても意味が違う。

上下関係の中では、相手の機嫌を伺うためにするものであり、ほとんどの場合目下の者から目上の者にすべき行動なのである。

その証拠に、職員室で同僚と交わすあいさつと、保護者や管理職、教委の者らとのあいさつは全く別のものなはずだ。

このあいさつの違いをなぜか教員は教えない。
なんだか打算的な感じがするからか、自分は目上の人間だからといってあいさつを強要しているみたいで気が引けるからだろうか。

しかし、そんな教員の個人的な感覚によって、この『あいさつの違い』を教えなくてよいのだろうか?
この違いを教えないということは、敬意を軽んじることになってしまうのではないだろうか?
と思う。

教員は、だれかれかまわず、自らニコニコあいさつしている場合ではない。

あいさつをしないことで目上の人間からの印象は悪くなり、それが自分にとって大きな損失であることを教えるべきなのである。

『なんか打算的で嫌だ』とか、『なんか気が引ける』とか言っている教員は、自分のあいさつの仕方を振り返って、どれだけ打算的かを考えてみていただきたい。

綺麗事ではなく、現実を教えなければならないのだから。

いいなと思ったら応援しよう!