悩みを取り除く教員は要らない

大小多少はあれど、人は常に悩みを抱えて生きているものであり、その悩みを乗り越えようと日々考え、努力し、行動しているものだ。

そして、その悩みを乗り越えた先に人としての成長があり、それを繰り返して大人になっていくものだ。

しかし昨今の世の中において『悩み』はストレスの原因以外の何ものでもなく、只々ネガティブな要素として扱われているようになっている。

だから人々は悩みを抱えると、どうやって悩みに立ち向かい乗り越えるのかということではなく、悩みの原因を取り除くことや悩みから遠ざかることだけに必死だ。

たとえば、容姿や見た目のことで悩むからルッキズムは良くないとか、
会社の上司や先輩との人間関係に悩んでしまうからパワハラにならないようにしようとか、
失敗してしまうのではないかと悩んでしまうので、失敗しても大丈夫な雰囲気や環境を用意しようとか、
悩みを抱えたらどうしようと悩んでしまうかもしれないから、いつでも相談できるカウンセラーやメンターを設置しようとか、

そんなことばかりにリソースを割いている。

そして、この流れはもちろん学校教育にも影響を与えている。

子どもが友達との関係に悩みを抱えたら、席を離してあげるとか、次年度別のクラスにしてあげるとか、
発表会で失敗するのが怖くて悩んでいれば、別の目立たない役割に変えてあげたり、最悪不参加でも大丈夫などと言ったりだとか、
学習が理解できなくて悩んでいれば、できるところだけで大丈夫だよと言ったり、初歩の問題ができただけで「すごいね〜!」などといって安心させたりするだとか、

学校は、子どもたちの悩みを取り除くと同時に子どもたちの大切な成長の機会をも取り除いてしまっていることに気付いていない。
気付いていたとしても、その責任を保護者に押し付けて、後は目の前を通り過ぎていくのをただ見ているだけだ。

本来学校は、子どもたちが悩みを抱えないように、その原因を取り除くのではなく、その悩みとどう向き合うかを教えなければならない。

そんなのは当然のことであり、保護者がなんと言おうと、原因を取り除く前にやるべきことがあることを説明し理解させるべきなのだ。

保護者は自身の『保護する子に教育を受けさせる義務』を全うするために公教育を選び、教員はそれに協力する専門家だということを分からせなければならないのだ。

保護者からの攻撃を恐れ、一挙手一投足にビクビクする時代には、もう幕を閉じなければならない。

学校にその勇気をもたらすために、やるべきことを教員一人ひとりが考えなければならないのだ。

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