「夢はなくてもいい」と言う教員は要らない
夢を持たない若者が増えている。
ある調査によれば、20代の7割以上が「将来の夢やビジョンを持っていない」という結果が出ているのだそうだ。
中学生を対象にした調査では、約5人に1人が「夢をもってない」と答えているとのこと。
さらに、73%の高校生が「自分の進路に悩んでいる」と答え、そのうちの33%が「やりたいことがわからなくて悩んでいる」と回答しているそうだ。
一昔前は学校だけでなく、周りの大人との会話や友達との会話の中で将来の夢について聞かれたり、聞いたりすることが当たり前のように行われていた。
だから、何かしら将来の夢について考え、その質問に答えるのが当然であった。
パイロット、スポーツ選手、漫画家、お医者さんなどなど、現実的かどうかはさておき、何かをきっかけに興味をもった職業を答えることを求められていた。
おそらくこれが、『子どもは夢をもっているものだ』という幻想を蔓延させる原因だ。
そのおかげで逆に
将来の夢やビジョンがないことに悩む子どもや若者が増えてしまったのだ。
そして、日本人の自己肯定感の低さも手伝って、
「わたしには得意なことなんてない」
「やりたいことなんてない」
「正社員になれれば何でもいい」
のようなネガティブな発言する若者に対して、
多くの教員らは、「夢を持て」と励ましてきた。
それが逆効果になるとも知らずに。
教員たちの無邪気な励ましに、子どもたちの悩みはさらに悪化し、
それに気付いた教員たちは、子どもたちに将来の夢について質問することをやめ、将来に悩みを抱えた子どもには、今度は手の平を返したように「夢なんかなくてもいい」と言い始めた。
最近の学校では、将来の夢について質問したり書かせたりすることをあえて禁止している所もある。
しかし、これが更なる間違いなのだ。
生きていく上での目標や未来のイメージがなくて良いわけがない。
無責任な言葉で、その場限りの安心感を与えるのはやめて欲しい。
逃げ場を作ってあげて悦に浸るしか能の無い大人たちのせいで、子どもたちの人生はどんどん貧しくなっていく。
そもそも『夢やビジョン』というものを履き違えている。
夢はどこからかやっくるものではないし、人から与えられるものではない。
どこかに落ちていたり、隠れたりしているものではない。
だから待っていても意味はないし、自分の外側をいくら探しても見つかるはずはない。
夢は誰しもがそもそも持っているものなのだ。問題はそれが鮮明に見えるかどうかだ。
夢は常に自分の中にあって、自分と向き合うことでその解像度が上がっていくのである。
なぜ今自分はこれがやりたいのか。
なぜ今自分はこれが欲しいのか。
なぜ今自分はここに行きたいのか。
自分の中の小さな目標や目的、欲求と向き合い続けることで夢を育て、大きな目標にするのだ。
だから、教員は子どもたちに自分の夢を語り、夢を問い続けなければならない。そして悩む子には、自分と向き合うことを教え、それができるように支援すれば良い。
「夢なんかなくてもいい」などと言う教員は、教員自身が自分と向き合うことから逃げているだけだ。
そんな情けない教員は要らない。