不登校の後ろめたさは要らない
夏休み明けは不登校が急増する。
これは何年も前から教育現場の常識となっている。
学校に行けない子どものほとんどは、自分が学校に行けてない事をネガティブな要素として捉えている。その親のほとんども同様だ。
私は不登校はネガティブな事だとは思わない。
むしろ、とても良いことだと思う。
だから、不登校問題というのは
不登校である『状態』が問題なのではなく
不登校の『捉え方』が問題なのだ。
しかしなぜ、多くの不登校の子どもやその親は、不登校をネガティブに捉えてしまうのだろうか。
それは、ほぼ全ての日本人は『日本の子どもが学校に通うのは当たり前』という感覚をもっているからである。
不登校をネガティブに捉えてしまう原因は、この感覚であることは明白なのだが、この感覚は私が知る限り、何十年も前からほとんど変わっていない。
だからこそ、不登校の子は『自分は学校に行かない悪い子だ』と後ろめたさを感じ、
周りの大人は『どうすれば、この子を学校に戻してあげられるだろうか』という方向性でしか考えていない場合が多い。
本来教育は、様々な知識や技能を身につけさせ、集団生活の中で社会性を高めることで社会に適応できるよう成長させることが目的であるのだが、
大人たちはその手段の一つでしかない『学校へ通う』ということを目的化してしまっている。
思考停止で理由も目的もなく、我が子を学校に通わせている親ばかりなのだ。
そのため『不登校=ダメなこと』
そして『ダメなことをする我が子=自分の育て方が悪かった』
と親子共々負のループに続々と入っていく。
不登校がダメなのではない。
学校に行かずに何もしないことがダメなのだ。
つまり、学校に行こうが行くまいが子どもが成長できる場や環境があればそれでいいのである。
家庭でも、地域でも、フリースクールでも、オンライン塾でも、メタバースやオンラインゲームなどであってもいいのである。
大切なのは子どもの成長を見守る存在と、共に成長できる仲間がいることなのだから。
『学校は行かなければならないわけではない』ということに気付いたという幸福に、たくさんの人が気付きますように。