傷の痛みを、感じてごらん。

私が私であることに、私は、ずっと嫌悪感を抱いていた気がする。

それに気づいたのはごく最近だった。こんなに大人になって私は、やっとそのことを自覚してしまったのだ。

「北海道のウチの地元の方はね、みんなある程度スキーができて当たり前、みたいな感覚だったの。だから私も学校のスキー授業で困ったりしない様に、小学校の冬休みの三年間、親が決めたスキー教室に行かされたんだ。それはもう問答無用で、私には拒否権が無かったの。」

そんなことをふと、夫との会話の流れで口にした時、私は自分の言葉にはっとさせられた。

私は―本当はあの頃、スキー教室になんか行きたくなかったはずなのだ。

私の親、というか母親は、とにかく私に習い事をさせるのが好きだった。

母はきっと、私にいろんなものを身につけさせたかったのだ。それはよく理解している。それでも私は「小学校に上がったらお習字」「小学校三年生でそろばん」「小学校五年生で英会話と塾」「冬にはスキー教室」…と、母に決められた習い事に埋もれ、やりたくないと言えば「そろばんは二級を取ったら辞めていいよ」なんて条件をつけられ、抵抗してもムダなんだと悟り、淡々と毎日のノルマをこなしていた。

中卒だった母は、きっとその経歴をコンプレックスに思っていた。だから私に「人より上」を求めた。

スキー以外のスポーツは軒並み下手くそだった私は、ならばと勉強に重きを置かされた。中学まではそれもうまくいった。しかし高校からはもう、周りのレベルについていけなくなってしまったのだ。

落ちこぼれた私を、母はけしてなじったりはしなかった。けれども私はその時、完全に自分を見失った。

ずっと、描かれていた理想があった。いい高校に入って、いい大学に行く。そして、お給料の高い職に就く。それが、私に用意された理想像だった。私は幼い頃から、そのルートを迷わず行って成功を手にするのだと、親だけでなく親戚なんかからも信じて疑われずに来た少女だった。

それが、高校に行ってドロップアウトしてしまったのだ。

卒業後、どうにか入学できた私大の二部も、夏を過ぎた頃には退学を決めた。二部の雰囲気に溶け込めなかったのもあるし、奨学金とアルバイトだけで四年間の学費も生活費も賄っていくのは、私にはしんどかったのだ。

一度目の通院は、その年の秋の始まりとかそれくらいだった気がする。私は「適応障害」と診断され、雪がちらつく頃には一人暮らしを終わらし、強制的に地元へ帰らされた。

症状はどんどん悪化し、私はそれから間もなく、一日に数種類、多い時には五種類ほどの薬を飲むようになる。

そして私は、手のひらに収まるほどの大きさのカッターを手に入れて、ご丁寧にストラップなんか着けて可愛い仕様にし、それをポーチに入れて持ち歩き―ことあるごとに、自分の手首や腕に、そのカッターで傷をつけるようになった。

まったくもって死に至る危険性など無い、いわば「かまってちゃん」の自傷の仕方だったと、自分でもそう思う。

それでも私は、手首や腕に赤い線ができることを、その線から丸い雫がぷくぷくと生まれ落ちることを、望んだ。

私は―幼き日からいろんなものを積み上げてきたのに、それをすべてムダにしてしまった「私」のことを、ひどく憎んでいたのだと思う。

―今、こんな風になってしまって、こんなにぼろぼろになってしまっても、「私」は私を救えやしない。「私」はいったい何の為に、あんなに小さな頃から、毎日を潰してやりたくないことまでをも頑張ってきたの?

私は、自分を痛めつけることでせいせいしていたのかも知れない。

大嫌いな自分が傷ついていくことで、私は、胸がすく思いだったのかも知れない。

「くまの子ウーフ」シリーズのお話のひとつ「ウーフは おしっこでできてるか??」で、ウーフはつまずいて転んだとたんに足を怪我し、血をにじませてしまう。

その時は、痛みに耐えかねて泣いてしまったウーフだったけれど、やがてウーフは泣きやみ、草の上をころころと転がりながら、気づく。

自分は他の何者でもなく、ウーフでしかない。そして、痛いと思うことも、お腹を空かすことも、怒ったり喜んだりすることもみんな、ウーフである自分から生まれてくる感覚だと気づくのだ。

ウーフは「ぼくはぼくでできている」という結論を見出し、とても嬉しくなる。

怪我をしたりドアにぶつかったりして「痛い」と感じるのも、それは溢れた涙やにじんだ血そのものが「痛い」と感じているのでは無い。痛みを感じているのは、ウーフ自身だ。ウーフの痛みを感じられるのは、ウーフだけなのだ。

ウーフが足に怪我をしたシーンは、何故だか私に、自傷行為を繰り返していた頃の自分を呼び起こさせた。

そして「ぼくはぼくでできている」とわかったウーフが、ふいに私の方を見、そのかわいらしい笑顔とともに、こんな風に言ってくれた気がした。

君だって、君でできている。だから君も、その傷が痛むんだよ。

望まれていた「私」で無くなった私を、私は、ずっと認めたくなかった。

だから、いっそ別の私になろうと思った。

一時期は本当に、知り合った人たちにけして本名を告げないくらいに徹底していた。偽名で付き合っていけるなら、その方がいいと思った。私は一度死んで生まれ変わったんだ、くらいに決め込んでいた。出身地すら隠した。二度と故郷に帰らなくったって、それでもいいやとすら思っていた。

けれども最近、ふっと感じたのだ。

寂しい、と。

途端に私の心のダムが決壊して「寂しい」が溢れ出した。一度溢れ出すと、もう止まらなかった。毎日のように故郷のライブカメラを見、ネット経由であっちのFMラジオを聴く日々。

そういう私をまるで、ウーフは見透かしていたように思う。あのかわいらしいお顔で、ウーフに「でしょう?」とにこにこされている気がする。

だから、ただなんとなく「面白そう」とこの企画への参加を決めた私に、生まれて初めてウーフの世界に触れてさせてくれた「ウーフは おしっこでできてるか??」で、まさかこんな風にウーフに教えられるなんて、私は、思いもしなかったのだ。

この企画へ連れて来てくれたのも、きっとウーフなのだと思う。そして今、このタイミングの私にだからこそ、ウーフは「はじめまして!」と、にこにこしながら現れてくれたのだと思う。

言われるままに習い事を続けていた「私」も、自傷を繰り返してまでして過去の「私」を憎んでいた私も、すべてが今の私を形成している。

わかっているはずだった。それでも私は、どこかでそういう自分を赦せなかった。ドロップアウトした、理想に沿えなかった―そのことが苦しかった。落ちこぼれて、取り立てて何も無い自分を、どうしても認めたくなかった。そんな自分を無かったことにして、朗らかに日々を過ごしてみせたかった。

そんな私にウーフはほほ笑んでくれた。そして、教えてくれた。その痛みを、感じてごらん?と。

私は少しずつ、今まで見て見ぬふりをしてきた自分の古傷と、そこから生じる痛みに、向き合ってみようと思う。

そうして痛みを感じながら、私が私であることを、私も受け入れていけたらいいな―そんな風に思う。

#キナリ読書フェス #くまの子ウーフ

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