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「なくても生きられる」けど「あった方が便利」を、もっと頼って生きたい

特に「うちにはお金がないから!」と言われながら育った人には、根付きやすい感覚なんじゃあないかと思う。

「なくても生きられる」んだから要らない、という考え方について、だ。

ミニマリストの人たちの生き方はすっきりしていて心地よさそうだと思うし、実際に視界に入ってくる情報量が多すぎる我が家に関して、もっと断捨離せねばなあと感じさせられているのも事実だ。

けれど何かについて「なくても生きられる」のは確かでも、それが不便でないかどうかと言われれば「正直、不便…」という感想をお持ちの方も多いんじゃあないかと思う。

(念の為…ミニマリストの考え方を否定するつもりはありませんよー!)


先日、我が家に洗い桶が導入された。

前々から食器洗浄機が欲しいと思ってきたけれど、

・台所がとにかく狭い

・ブレーカーがすぐに落ちる

・だもんで東京電力に「もっと電気を使えるよう工事をして欲しい」と依頼したものの、家が古すぎて不可能でした…(´・ω:;.:...

という点で、どうも我が家に食器洗浄機は不向きな様なのだ。

こういうのとかすごーく良さそうなんだけどね…。

そんな中、ネットで「洗い桶に水を張って汚れた食器を突っ込んでおけば、すすぐだけでもだいぶきれいになる」という情報を見つけ、( ゚д゚)ハッ!となった。

うちの実家は、洗い桶を使う習慣のない家だった。

「食器は食べ終わったらすぐに洗うべき」というのが母の信条で、なんなら食べている途中でも、空いているお皿はガンガンは片付けられてしまうのが我が家の日常だった。

それが私に染みついていて、私はどうにもシンクに汚れた食器をそのままにしていることに罪悪感が強く持たれる性質にある。

そのくせ料理や食事の後、我が家の狭いシンクの中に洗い物がぎゅうぎゅうになっているのを見、いつも「…面倒だな、洗うの」と気が重くなっていた。

ダイソーに用ができたタイミングで、夫に「ねえ、洗い桶を使ってみようと思うんだ」と告げたところ「ああ、いいね!」と絶賛された。そういえば夫の実家は洗い桶を使っている。夫にとっては洗い桶があることこそ日常だったのだ。

ちなみに私が買ったものと同じ洗い桶は、こちら。

さて、使ってみて何より(・∀・)イイ!!と感じた点は、

「洗うものがどれくらいあるか」を視覚的に把握しやすくなるところ!!

「シンクの中にたくさん溜まっている」だけだと、なんだかぐっちゃぐちゃで洗い物の量もすさまじく多く感じて、億劫さがつのる。

けれども洗い桶の中に食器が入った状態だと「この中のものを洗えばいいんだ!」と認識できて、それだけでずいぶん作業がラクに思えてくる。

洗い物のそもそもの量が多い時は「洗い桶の中身を先に洗う→残ったものは後回しにして休憩してから洗う」とか、そういった分け方がしやすくなる利点もある。作業について自分自身でラインを引きやすくなる…と表現したら、うまく伝わるだろうか。

洗い桶というのは「なくても生きられる」ものの一つだと思う。

実際うちの実家にはなかったし、なくてもうちの母はいつもシンクの中をきれいに保っていた(けれどその分「洗い物を溜めるなんてナマケモノ!」みたいな思想を植え付けられて今でも苦しいんだけれど)。

でも、洗い桶は私にとって確実に「あった方が便利」なアイテムなのだ。


私は「うちにはお金がないから!」と言われて育ったゆえ、未だに自分にお金をかけることにためらいがあったりする。

何を買う時にも少しでも安い方を選ぼうとしてしまうし、長らく美容室でカラーをすることにも抵抗を感じていた。家で市販のものでカラーすれば千円しないし…とか思ってきたけれど、あれは素人がやるには限界がある。

つまり、だからこそ「なくても生きられる」ものは導入しない、という生活を自らに強いてきてしまった気がするのだ。

本当は「あった方が便利」なものをなるべく導入して、生きていくのにかかる負担を減らし、少しでもラクに生きようとした方がいいに決まっていたのに。

いわば私は自分から不便な生き方を選んできてしまったのだと思う…これまでは。

今後の人生は「あった方が便利」なものをできるだけ導入して、どんどんラクな生き方を実践していきたいと思う。


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