未解決事件簿14:W弁護士・I弁護士、医療記録入手妨害、会話成立せず
前回は、証拠保全に先立ち、警察が医療記録を押収したかどうか、病院に返還したかどうかを確認する目的で、I弁護士が例の「偽者警察官」と直接面会し、話を聞いてきたという報告と、その時の「偽者警察官」の話の内容について、その報告書が全て嘘で塗り固められていたことが後に判明したという話をしました。またI弁護士との会話が全く噛み合わない様子を具体的に紹介しました。
今回は、この後、証拠保全に向けて手続きを進めていく過程、実際の証拠保全の様子、その後の経過について、お話ししていきたいと思います。
I弁護士が例の「偽者警察官」を訪問したという2010年11月30日以降、しばらくの間、弁護士からの連絡はありませんでした。この間、病院、弁護士が何をしていたかは一切不明です。
弁護士、レセプトの入手を妨害
年の瀬も押し迫った12月23日に、I弁護士から3週間ぶりにメールで連絡が届きました。
「証拠保全申立書」の原案を作成しましたので、ご確認をお願いします、という内容で、その原案がPDFファイルでメールに添付されていました。
証拠保全を申し立てる理由が記載され、証拠保全で入手したい医療その他の記録の一覧(検証物目録)がありました。「PCI画像、CT、レントゲン、心電図、心エコー、診療録(カルテ)、看護記録、病棟日誌、血液検査データ、注射オーダー、点滴オーダー」等々、様々な項目が列挙されていました。医療記録に関してはこれで十分と思いましたが。1つだけどうしても入手したい資料がありました。2010年9月分のレセプトです。
2010年8月分のレセプトはこちらが開示を求めなくても自動的に開示されたのですが、9月分は開示されず請求もされませんでした。そこで病院宛に9月分のレセプトの開示を求める手紙を2度送りましたが、レセプトは送付されず、送られてきたのは9月分の請求書のみでした。
このように9月分のレセプトがどうしても開示されなかったため、「証拠保全」という民事上の半強制的な手続きで入手してしまおうと考えたわけです。
そこで「検証物目録」の中に、「2010年9月分のレセプト(診療報酬明細書)」を追加し、I弁護士のメールに対する返信という形で送付しました。
するとI弁護士から意外な返事が届きました。
「診療報酬請求明細書については、判例上患者に開示請求権が認められておらず、申立をしたとしても認められません」とあり、検証物目録から削除されてしまいました。
以下にその時のメールの一部のコピーを添付します。
僕の第1感は「そんなはずはないだろう」でした。9月分のレセプトを入手できればそれに越したことはありませんが些細な問題と考えていましたし、これについてI弁護士と争うのは得策ではないと考え、特に反論せず弁護士に従うことにしました。
9月分のレセプトに記載されていると思われる重要事実は「死亡診断書」発行か
この9月分のレセプトには、病院から死亡診断書が発行されたという事実が記載されていたはずだということが後の検証で判明したことは、他の記事で詳しく述べた通りです。つまり9月分のレセプトを直接入手できれば、病院が父の医療事故・事件を病死として処理したという事実、司法解剖が本当は行われていないという事実が判明していたことになります。
そうなることを病院側としてはどうしても阻止したかったと思いますし、そのために、「W弁護士」、I弁護士を使って、それを妨害したのだと思います。
ちなみに「診療報酬請求明細書については、判例上患者に開示請求権が認められておらず、申立をしたとしても認められません」というI弁護士のコメントは法的にも間違い、嘘です。
レセプト(診療報酬明細書)の開示請求は患者・家族に認められています。
それを示す資料を下記に示します。全国健康保険組合のサイトにあったものです。
証拠保全で代理人弁護士は医療記録入手妨害
2011年1月11日にW弁護士・I弁護士が地方裁判所の管轄の支部を訪問し、証拠保全申立を行った旨、連絡がありました。その後、僕たちはI弁護士に対して父の経過と医師の説明内容の詳細についてメールで説明しましたが、I弁護士は全く無関心のようで事実上完全無視でした。
証拠保全は2011年2月8日に実施される予定となりました。証拠保全は病院に改ざんの時間的余裕を与えないために速やかに行われるとされていますが、父の死亡から約5か月後、弁護士訪問から約3か月後と、実施までにかなりの日数が経過してしまいました。この間、病院側がカルテの改ざんや証拠隠滅をしていないかと、僕たち遺族は気が気ではありませんでした。
証拠保全実施に先立ち、W弁護士、I弁護士は条件を提示してきました。「基本的に証拠保全に遺族の立ち会いは認められませんが、裁判官に〇〇様のお気持ちを粘り強く伝えたところ、1人のみ参加が認められました。ご遺族からは長男様(僕)にご出席いただきたいと思います」とのことでした。僕はこの日、やや遠方の病院に実習に行くことが決まっており、証拠保全に出席できないことは100%決まっていました。僕がこの日、証拠保全に絶対に出席できない状況であることは調査できていたと思いますし、出席できない僕を指名すれば、「欠席裁判」にできるという目論見が病院側にはあったのだと思います。それが僕を指名した理由と考えられます。
証拠保全当日の出来事
証拠保全当日には僕の代わりに、母と弟の2人で乗り込んでもらいました。「2人で来てしまいました」と言えば、相手は参加を拒否することはできないのではないかと考えてのことでした。
裁判官にその旨を伝えたところ、母と弟2人とも参加が認められ、それを知ったI弁護士は慌てているように見えたとのことでした。
この証拠保全当日も、後に僕が分析・検証できるように録音に残してもらいました。
録音を聞いていると、W弁護士が主導権を握っていますが、証拠資料の入手を故意に妨害する様子がよく分かります。
「8月26日、27日の心エコーと心電図は必ずあるはずなので、それもお願いします」と弟が言うと、W弁護士は「そういうと病院に色々言われちゃうから、あまり言わないで」と制止していました。
また病棟看護師長が「病棟日誌です」と提示してきた資料を、W弁護士は「これは、いらないかな」とこれも入手を妨害していました。
裁判官は「PCI画像は病院から任意で開示されたものですから、証拠保全検証物目録から取り下げます」と話していました。PCI画像は、この証拠保全手続きがなければ開示されなかった記録であったにもかかわらずです。
「本件は医療事故・事件のはずですから、病院で事故調査が行われているはずです。その事故調査報告書もいただきたいです」と弟が言うと、安全管理部門のリスクマネージャーが「我々は事故とは認識しておりませんので、事故調査は行っておりません。しかし事実経過報告書はあります。これはご家族とのトラブルについて院長に報告するために作成したものです。これをお渡しします」と答え、事実経過報告書が入手できました。
「事故とは認識していないのですね?」と弟が念を押すと、リスクマネージャーは「はい」と答えました。
この録音を聞いていると、病院、裁判官、弁護士が全て敵に見えてしまうような言動です。
この場には、褐色のスーツを着て、1言も発せず、微動だにしない男性が1人いたそうです。
あれは何者だったのだろう、という話題も出ました。
医療記録を遺族独自に分析・検証
この証拠保全で入手した医療記録には一部明らかに抜き取られた痕跡、置き換えられた痕跡がありますが、医療事故とその隠蔽・放置を再構築するには十分でした。
僕はこの医療記録を丁寧に読み込み、実際に起こった出来事を再構築した資料を作成しました。
カテーテル(PCI)治療画像を詳細に検証していくと、カテーテルで血管穿孔している(突き破っている)様子を写した動画、血管を損傷し心筋梗塞を新たに作ってしまった様子を写した動画があり、確かに医療事故が起こっていることがはっきり分かる証拠でした。
そしてカルテ、看護記録その他の全ての資料を検証しましたが、カテーテル事故の事実には一切触れられておらず、このことから事故を隠蔽・放置した事実も明らかとなりました。
この医療事故により心タンポナーデを発症させ、1日で尿量が20ml程度となり、8月26日から27日にかけて肝機能、腎機能が急激に悪化し、著しいショック肝(AST, ALT 4桁)、ショック腎(Cre 6 mg/dl以上)であったことも判明しました。ショックを解除した後の改善に乏しく、心タンポナーデの解除の遅れにより回復不能の状態に陥ったことも立証できました。
これで医療事故とその隠蔽・放置により患者を死に追いやったという医師の犯罪は十分に立証できたことになります。
医療記録の分析結果を説明するも、弁護士は完全無視
最終的に医療記録を読み解いた結果をW弁護士・I弁護士にメールで説明しましたが、全くの無反応でした。何度か言葉を変えて同じ内容のことを繰り返し説明しましたが、それに対するコメントは一切ありませんでした。
「私たちの話を聞いていますか?」という直接的な質問もしましたが、「聞いている」とも「聞いていない」とも答えず、「協力医に見解を求めようと考えています」という質問の答えになっていないコメントを繰り返すのみでした。
「メールではご理解いただけないようですので、直接、説明にお伺いしたいと思います」とこちらからお願いすると、「メールで伺っている通りの内容であれば、その必要はありません」という返答が返ってきました。「直接、説明するためにお伺いしたいと申し上げた理由は、私たちのコメントに対するご返事をいただけないため、先生たちがどの程度理解して下さっているのか、私たちの方で把握することができないためです」とも書きましたが、そのコメントは丸ごと完全無視されました。
僕たち遺族の話に全く聞く耳を持たず、会話が成立しない状況に僕たち遺族はいら立ち、「このままではどうにもならない、解任だ」という意見で一致しました。
そして2011年5月半ば、両弁護士に対して解任の意思を伝えました。
弁護士からは「承知しました。病院には当職らから辞任通知を出しておきます」という短い返事があっただけでした。通常であれば、突然の解任希望のメールに弁護士は驚くはずで、「何かご不満な点はあったでしょうか。○○様のご期待に応えられず誠に申し訳ありませんでした」という最低限の反応があるはずですが、それもありませんでした。まるで僕たちのこの反応が事前に予想されたものだと言わんばかりの反応でした。
このことからもW弁護士・I弁護士は確信犯であったことが分かります。
というのも「何かご不満な点はあったでしょうか」と尋ねる前に、僕たち家族を欺いていることは何よりW弁護士・I弁護士がよく分かっていたはずですし、「何かご不満な点はあったでしょうか」と僕たちに尋ねてしまうと、その不満を聞かなければならない立場になり、弁護士にとって「藪蛇」だからです。
こうしてW弁護士とI弁護士との契約関係はあっけなく解消となりました。
医療訴訟関係の弁護士の所属する団体として「医療事故研究会」、「医療問題弁護団」があることは前述した通りですが、僕たちは前者「医療事故研究会」に所属するW弁護士・I弁護士を解任した後、後者「医療問題弁護団」に申し込むことにしました。
結論から先に言うと、次の弁護士もW弁護士・I弁護士に勝るとも劣らず悪質でした。
その様子については次回、詳しくお話ししたいと思います。
追記①:最終目標は病院・医師の実名報道
僕の最終目標はこの事件を明るみに出して、この病院・医師の実名報道を実現することです。
追記②:「フォロー」と「スキ」のお願い
この事件に興味がある、この病院・医師が許せない、この病院はどこの病院なのか気になる、実名報道まで見届けたいと思われた方は是非、「スキ」と「フォロー」をよろしくお願い致します。
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