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いい子ちゃんからの卒業
転職を繰り返してきてわかったことは、
人様の社会で生きるの、向いてない。
特に苦手な人が多すぎるこの世で、
周りの人たちみたいに柔軟に世を渡っていける術がない。それなりに武装しても、装飾が重すぎて足を絡めとられる。
つくづく、1人でありたいと願う。
エンジニアになり、4ヶ月が経とうとしている。
業界の特色だろうか、ほぼ皆、教える才能がない。主語と述語がはちゃめちゃである。
自分の脳裏で繋がっている話をポイントだけ抽出して言葉にしているせいで、何を説明したくて、私に何を伝えたいのか、一切伝わってこない。
n回目の「なんの話ですか?」
二度手間感がストレスでならない。
何十年、大人をやってきてんだ??
最近のストレスは会社のボス(社長)
常に隣で見てくれているんだけど。
拗らせた中学生みたいに会話が下手くそである。
(中学生に失礼)
会話の始めが述語のせいで、何を話したいのか理解するまで時間がかかる。
呟くように吐くせいで、独り言なのか話かけてるのかわからない。
自分の説明に起因があるにもかかわらず、理解できない人への不快感を言葉に込める。
人として、尊敬する点を見つけるのが難しい。
まだまだ青くいたいと願う大人が存在するんだな。
22歳頃のわたしなら、愛想を振りまいて要領よく交わしてコミュニケーションをとっていただろうな。自分の個性を消して、相手が求める言葉を、態度を、察して演じてあげる。社会人らしい生き方をしていた。きっと誰しもがそうなのだろうな。
それでは、わたしの心が死んでしまう。
20代前半に愛想というものを捨ててきた。相手が求めることに応えてあげなくていい、期待に応えようとしなくていい、と。
わたしの期待に応えてくれないのに、わたしが求めていることは察してくれないのに、
わたしが相手に尽くしてあげなくていいのだ、と。
人の期待に必要以上に応えないといけないと、執拗にわたしに絡みついているそれらを剥がすのに時間がかかる。今も、剥がし中である。
今は、誰の期待も察してあげない。
エンジニアの仕事は大変なことしかないけど、恵まれた環境ではある。
ボスは苦手だけど、そこは頑張るところではない。
わたしは頑張るところを、頑張ればいいだけ。自分の意志と自分が決めた目標に。
他人が決めた目標に、なぜ向かって努力をしないといけない?
なぜ、わたしのやる気の使い方を他人が操作できると思っている?
世の普通を、他人の当たり前を、わたしはずっと理解できないままだろうな。
今はそれでいいや。