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【仏教コラム001】当たり前ではないことに本当に気付かされる時、人生は輝く

皆様、こんにちは。僧侶の神崎修生です。

今回より、「大人のための寺子屋」というコラムを、開始致します。より良く生きたいと願う方、仕事や人間関係などでのヒントを見出したい方、悩みや葛藤を抱える方など、様々な立場の大人の方々に読んでいただきたいコラムです。

仏教は、2500年もの時代を経ても淘汰されずに伝わってきた、人類の智慧という側面があります。経典には、自分のあり方、利他の精神、死生観、心の整え方など、人が生きていく上で、学びとなることが多く記してあります。このコラムでは、仏教の心を身近な例と分かりやすい言葉で紹介していきます。 

さて、今回は「死生観」編です。「当たり前ではないことに本当に気付かされる時、人生は輝く」というテーマで、綴ってまいります。


▷人生の有限性

我々は、日々を当たり前に生きている時があるかもしれません。ここでいう、日々を当たり前に生きるとは、言葉を代えると、明日も明後日も、1ヶ月後、半年後、1年後も、当たり前にやってくると疑わずに生きている状態のことです。
もう少し詳しく言うと、1年後がやってくるかどうかは分からないと、頭では理解していていても、普通にしていれば1年後が来るだろうと、そう感じながら日々を過ごしていられる状態のことです。

人生の終わりを意識せずに生きていられることは、良いことかもしれません。振り返ってみれば、小学生や中学生の頃に、人生の終わりを想像できなかったからこそ、キラキラとして甘酸っぱい青春の学生時代を思いっきり過ごせたのかもしれません。学生時代に戻りたい。そう思われる方も多いのではないでしょうか。

しかし、人は歳を重ねるうちに、色々と経験をする中で、人生が有限であることを知ります。それは、耐えがたい苦痛であり、恐怖です。段々とできることができなくなったり、身体のあちこちが痛くなってきたり、病気や傷の治りが遅くなってきたり、身近な人との死別を経験したり、徐々に人生の終わりが自分事になってきます。人によっては、若くても、自分事として感じている方もおられます。

仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)も、老病死(老い、病になり、亡くなっていく)という事実に、深く悩まれ、そこから抜け出す方法を求め、出家をしたとも言われています。


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