食器洗いという瞑想
3月23日に届いたLobsterr Letter(ニュースレター)の中に『料理という瞑想』というトピックがあった。
コロナウィルスによる外出自粛によって、自宅で料理をする頻度・時間が増えたことに対する考察が書かれているのだが、その中で紹介されているEqual Parts(調理道具を提供するD2Cブランド)の考え方にとても共感した。
Equal Partsは、料理というのは最も手軽、安価にフロー状態になれる方法だと言う。加えて、日常のなかで数少ない、消費者から生産者になれる方法でもある。そして、それはわたし自身が経験する精神的充足のことだ。儀式化した禅的行為、瞑想的行為。
我が家の場合、(状況に応じてたまに変わるが)料理担当は主に妻で 食器洗い担当が私だ。
正直、満腹になった身体を起こして なかなかの量の食器と調理道具を洗いきるのは けっこうしんどい。
食器洗い乾燥機を導入したいと思う日も少なくない。(賃貸物件である今の家のキッチンにそんなものを置くスペースは無い)
しかしながら、この毎日の食器洗いが自分にとっては瞑想や考え事、インプットをする場になっている。
食器洗い用のスポンジを手にしながら、片耳イヤホンで静かな音楽を聴いたり、PodcastやKindleの読み上げ機能で情報を摂取したりする。仕事のアイディアやこのnoteのネタもほとんどが食器洗い中に思いついているし、ここで得られた情報が仕事や生活に活かされていることも多い。食器洗い乾燥機があったらと思うと逆に怖くなるぐらいだ。笑
(食器洗い中にいろいろ思いつくのは、先日書いた「デフォルトモードネットワーク」が影響しているはずだ)
この内容に共感してくれる人はどれぐらい居るのだろう。。。
実は、食器洗いと“禅”についても書きたかったのだが、それはまた今度書くことにする。
ひとまず“毎日note”が10日間続いた。
毎日思うんだが、明日の自分は何について書くのだろう。