鶴見俊輔『日本の地下水―小さなメディアから』についてのメモ⑦―地下水を汲み出す
鶴見俊輔が、後年「老い」について関心を持っていたことは多くの彼の文章や対談で述べられている。鶴見が老いについて関心を持ったきっかけは、以下の宮城哲「鶴見俊輔研究序説:「自己」・「サークル」・「老い」の問題群をめぐって」も紹介されているが、折原脩三が40代に書いた「老いるについて」(『銀行研究』1965年3月号)というエッセイである。鶴見は、折原の定年後の著作活動を視野に入れて働いている間から読書に励んでいた姿を評価している。
この老いについての関心を持ったきっかけは、一例であると思われることに鶴見俊輔『日本の地下水』(編集グループSURE、2022年)を読んでいて気が付いた。鶴見が老いへの関心を持っていた同人誌として『日本の地下水』では、『騒友』(1968年8月)、『石風草紙』(1970年5月)、『耕人』(1971年5月)を紹介している。以下に鶴見の紹介の中で興味深い部分を引用してみたい。
ここで興味深いのは、鶴見が老いについての問題意識を同人誌から継続的に得ていたという点である。鶴見の老いに関する問題意識は、宮城の論文でも紹介されているように1980年前後から本格的に展開されるが、その問題意識への助走が「日本の地下水」で行われていたと言えるのではないだろうか。
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