岩崎家の支援を受ける?北一輝の弟・北玲吉ー近現代史資料としての南方熊楠関連資料
以下の記事でも紹介したように、南方熊楠の書簡は様々な情報が含まれており南方熊楠研究以外の近現代史の領域でも重要な資料になりうる可能性がある。以下の記事では、出版史においてあまり情報がないとされてきた下出書店に南方の著作の出版計画があったことを紹介した。
今回は南方の書簡に書かれている思想家・北一輝の弟・北玲吉(れいきち)の話を紹介したい。『熊楠研究 第七号』(2005年)に収録されている田辺市出身の実業家・辻清吉と南方の書簡から該当部分を以下に引用する。
大正十五年三月六日午後一時 辻清吉様(前略)北玲吉氏毎々投書され候様子、此人は前年小生岩崎小弥太より一万円もらひ候と同時に岩崎家の出資にて洋行せし若き人にて、中々よく出来る人と承り申(後略)
南方はこの書簡が書かれた当時、南方植物研究所の設立のための資金を集めていたが、岩崎小弥太が寄付したようである。この話は以下に引用した岩田準一宛ての別の書簡では「岩崎家」とだけ書かれており、よく分からなかった。しかしながら、南方の記憶違いもあるので確定はできない。そして、玲吉も岩崎家の支援を受けて留学したようである。
しかしながら、『哲学行脚』北玲吉(新潮社, 1926年)のはしがきによると、玲吉は留学時に政治家・三土忠造の支援を受けていたようだ。南方が三土と岩崎家の人物を勘違いしていたという可能性もある。もしくは、両者が支援をしていたのだろうか。
興味深いのは、玲吉、三土、岩崎は拙noteでも度々紹介している忘れられた哲学者・平澤哲雄と何らかの交流があったという点である。平澤は玲吉と深い交流があったと推測され、平澤の姉の夫が三土の弟であったので、平澤と三土は親戚であった。南方は平澤の紹介で岩崎小弥太の支援を得たが、玲吉も平澤の紹介で岩崎家、もしくは三土の支援を受けたのであろうか。
このように南方の書簡には多くの情報が含まれているので、近現代史の資料としてきちんと保存されるべきであると私は考えている。書簡に限らず南方関連の資料の保存もプロジェクトの一部となっているクラウドファンディングが以下のように進行しているので、関心のある方はぜひ一読していただきたい。
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