論文「宮武正道の「語学道楽」―趣味人と帝国日本 (特集 民族)」黒岩康博の論点
先日、拙noteでは「宮武正道の「語学道楽」―趣味人と帝国日本 (特集 民族)」黒岩康博(『史林』94巻1号, 2011年)という論文を紹介して柳田国男と交流がエスペランティスト・民俗学研究者の笹谷良造を紹介したが、この論文を読んでいておもしろかったのはこの点以外にも多くの興味深い論点があったことである。これらの論点を私が考えた限りでいくつか紹介してみたい。
・エスペラントの地域における動向
大正時代にはエスペラントが知識人階層で流行したことは知られているが、都市部だけでなく各地域での動きというのはあまり知られていないように思われる。地域の動きでは、宮沢賢治、柳田の影響でエスペラントを勉強し始めた佐々木喜善を中心とした動きは知られている。この論文では、宮武正道が奈良エスペラント会で活動していたということが紹介されているが、地域のエスペラントの動向を示す貴重な例であると思う。
・趣味人の調査範囲に関して
この論文では、宮武はマレー語など様々な南島の言語を研究していた趣味人として紹介されているが、趣味人の調査範囲が日本列島の外にまで広がっていたことは興味深い。この論文によると、宮武は、東洋民俗博物館を設立し、性に関する民俗を中心に蒐集を行っていた九十九豊勝とも交流があり、東洋民俗博物館は宮武の南洋諸島調査を支援していたようだ。この調査範囲が、当時の日本という国家の対外進出していた範囲と重なっていることは重要であると思われる。論文の標題に「趣味人と帝国日本」という表現が含まれているように、当時の趣味人と国策の関係性は考えさせられる。余談だが、趣味人の人的なネットワークも日本列島の外に広がっており、例えば満州で郷土玩具を蒐集していた須知善一という人物がいる。
・在野研究(独学)の南島研究の系譜
宮武のおもしろいところは、南島の言語や民俗の研究を行っていたが研究機関に所属せずに行っていたことである。同時代に宮武と同じく南島の言語を研究していた柳田の弟・松岡静雄も研究機関に所属せずに研究を行っていた。南島の言語の研究は在野の研究者によって開拓されたということが興味深い。ナマコの売買のネットワークの歴史を検討することでヨーロッパの帝国主義、資本主義に組み込まれなかった南島地域独自の「民際的なネットワーク」の存在を明らかにした『ナマコの眼』(筑摩書房, 1990年)を書いた鶴見良行も広い意味で在野の研究者であるが、このように南島地域の研究の発展に在野の研究者が大きく貢献しているのが興味深い。