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単なる宮本常一の本の編集者ではなかった錦耕三―忘れられた民俗学研究者

 先日、以下の記事で宮本常一の『ふるさとの生活』、『日本の村』の出版を支援した人物として錦耕三を取り上げた。しかしながら、先日、別の記事を投稿する際に『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二に収録されている澤田四郎作が主催していた大阪民俗談話会の記録を再確認していたところ、錦がこの会に出席していたことに気づいた。

錦が出席して発表していた会は以下になる。発表せずに出席していた会は他にもあるだろうと推測される。

昭和24年1月16日 錦耕三「若狭のダイジョウ講」
昭和25年2月26日 錦耕三「ダイジョウコウの話」
昭和25年4月26日? 錦耕三「若狭のダイジョウコウの話」
昭和25年10月29日 錦耕三ほか5名「兵庫県宍栗郡奥谷村」
昭和26年7月29日 錦耕三「マナ神事の一考察(マナバシとヤクヨケバシ)」
昭和27年6月15日 錦耕三「若狭の祭」
昭和27年8月24日 錦耕三「若狭の祭(二)」
(『柳田国男の歴史社会学 続・読書空間の近代』佐藤健二(せりか書房)の「大阪民俗談話会の記録」より引用)

錦が定期的に談話会で発表していたことが分かる。錦は民俗学関連の書籍の出版に関係していただけでなく、自ら積極的に民俗学の調査を行っていたようだ。ちなみに、昭和25年4月26日の開催に「?」と付けられているが、『宮本常一写真・日記集成』の以下の記述から私は正しいと考える。

(昭和25年)4月26日(水) 鳳へ。昼までねる。アベノ橋に出る。朝日へゆく。錦氏と沢田先生のお宅へ。
4月27日(木) ナンバ―営林局―府庁・・・安藤氏ニアフ。朝日―沢田先生宅。
4月28日(金) 平野―平野町―市役所―角座(『赤い靴』)―西荻町。浅田君宅。錦氏とおちあう―鳳へ。
4月29日(土) 昼まで鳳。午后、沢田先生宅。先生とナンバへ。平野ヤにてビール。松竹にて『スキャンダル』。沢田宅。
4月30日(日) 朝8時の汽車にのり、夕方東京着。三田にゆき、澁沢先生とはなす。(筆者が重要であると考える部分を太字にした。)

宮本常一が錦と澤田四郎作の家を訪問したのは、4月26日のみである。宮本の日記には、錦と会ったことが頻繁に書かれているため、もし、上の引用の4月26日以外で錦と会っていた場合は日記に書いたのではないだろうか?

 また、国会図書館オンラインで調べてみると、下記の雑誌に投稿していたことが分かった。

民俗学 3巻8号 1931年8月 平野の御田
近畿民俗 2号 1949年7月 特集資料 若者宿
富民:農業の技術と経営 22巻8号 1950年8月 生活改善に立ち上がるむら
近畿民俗 4号 1950年10月 松原の神事講―若狭神事藝能紀
富民:農業の技術と経営 22巻10号~23巻8号 1950年10月~1951年8月 村々の年中行事を連載(国会図書館で検索したところ、23号5巻には連載が確認できなかった。)
近畿民俗 12巻20号 1953年 若狭三方郡におけるサンカイとヨボシキ
民間伝承 24巻1号 1960年 トシトコさん
若越郷土研究 7巻4号 1962年 若狭の猿楽と舞々(遺稿)
若越郷土研究 9巻1号 1964年 矢代の手杵祭(遺稿)―福井県遠敷郡内外海村矢代の春の神事
若越郷土研究 12巻1号 1967年 沖の石(遺稿)

1950~1960年にかけて雑誌によく投稿していたことが分かる。その後、錦に関連する本は出版されていないが、2005、2006年に岩田書院から『錦耕三遺稿集』1, 2巻と 別冊が出版されている。購入しようと思っていたら、「日本の古書店」というサイトでもかなり高騰しており、購入を断念した。。。図書館で借りるなどして目を通してみたい。

本日遺稿集は埋もれてしまっている文献はまだまだあるのでは?という指摘をTwitter上でみたが、錦の遺稿集もそれに該当するかもしれない。

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