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手ぬぐい趣味誌『佳芽乃曽記』とそのネットワーク

 国会図書館デジコレでは意外な雑誌が閲覧できることがある。先日、手ぬぐいの蒐集や交換を趣味としていた人々が集っていた美蘇芽会の会誌『佳芽乃曽記』がデジコレで閲覧できることを知った。実業家・須知善一の評伝『満州を駆け抜けた男 須知善一』市道和豊(室町書房, 2010年)によると、美蘇芽会は須知の後輩である中林峯昇がつくった趣味人の団体であり、中国の大連を本部として東京、大阪、京都、盛岡などに支部があったようだ。中林は我楽他宗の本山・三田平凡寺から大きな信頼を得ていたという。

 デジコレで閲覧できる『佳芽乃曽記』(1933年)は美蘇芽会が発行していた同じタイトルの雑誌の合本である。合本の中の「合本について」によると、合本出版の経緯は、この雑誌の発行から5年が経ち33号に到達した記念に発行されたという。『佳芽乃曽記』第1号には、雑誌の発行経緯が書かれているので以下に引用してみたい。

創刊号に寄せて 松山櫻洲
刊行物の中、特に異敬のものたる月刊趣味手拭を苦難と闘つて三十余回も継続して来た美蘇芽会が更に躍進本誌を発行した事を先づ以て自分は心から祝福するものである。
従来染織物としての専門的機関誌は多数発行されて居るが趣味として扱った手拭の機関誌は恐らく本誌が最初のもので有らう。当然有るべきものが今迄無かつたのが不思議な感じがするが併し現在迄の手拭界を見ればこれが当然かもしれない。何となれば在来の手拭に係る染工家と云ひ図案家と云ひ其の専門家が只大量生産を事とし、其の実質に重きを置かず品質の向上や趣味としての手拭の研究等に至つては全然閑却されて居る有様である。そうして当然の帰結として日一日と抵級な手拭が市場に多く現はれる今日此頃、本誌の出現はまことに時機を得たものとして且つ現手拭界に與へられた大なる羅針盤として其の前途に多大の期待を掛け、切に健全な発展を祈るものである。(一部を筆者が現代仮名遣いにあらためた。)

『佳芽乃曽記』の前に美蘇芽会は「月刊趣味手拭」という雑誌を発行しており、『佳芽乃曽記』は、手拭の「品質の向上や趣味としての手拭の研究」を目的としていたことが分かる。様々なものの大量生産が進められる時代に抵抗するという意図は柳宗悦らが推進した民藝運動に近いかもしれない。

 『佳芽乃曽記』に文章を投稿しているのは、蒐集家・三田平凡寺、性に関する民俗を研究していて出口米吉や斎藤昌三とも交流のあった上田恭輔、漫画家で民俗学研究者・宮尾しげを、雑誌『郷土趣味』を発行していた田中緑紅、玩具研究者・川崎巨泉、納札博士と呼ばれていたフレデリック・スタールなど錚々たる人物である。美蘇芽会には様々な趣味人たちが集っていたようである。

 話は変わるが、号によってはもらったものを紹介するコーナーが設けられている。手拭以外も趣味誌や納札など様々なものを受け取っていたようで、この時代の趣味人たちの交流の一端が伺える。以下の記事で紹介した『本のリストの本』(創文社, 2020年)でも、今では現物が残っていないため知ることの難しい趣味人たちの雑誌のネットワークの存在が紹介されているが、手拭趣味を共通項とした人々の交流はどのように広がっていたのだろうか。


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