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柳田国男と尾佐竹猛の交流について
拙noteの以下の記事や南方熊楠顕彰館で開催中の企画展「ツチノコと南方熊楠の知的ネットワーク」の中で南方熊楠との交流を紹介した尾佐竹猛だが、柳田国男とも交流があったことは知られている。
礫川全次「柳田国男と尾佐竹猛の接点―ニッポン民俗学外史⑩」(『歴史民俗研究』第14号、批評社、1999年)では、尾佐竹が柳田が高木敏雄とともに編集していた雑誌『郷土研究』に投稿していたこと、尾佐竹の『賭博と掏摸の研究』(総葉社書店、1925年)の第3版に柳田がコメントを寄せていること、『文藝春秋』(1927年7月号)で両者が芥川龍之介、菊池寛とともに座談会に同席していることが紹介されている。これ以外では尾佐竹は柳田も運営の中心にいた郷土会に参加しており、1916年には「伊豆新島の話」という報告を行っている。
上記で紹介した以外にも柳田と尾佐竹の交流はあったようで、『柳田国男全集』別巻1(筑摩書房、2019年)の年譜で両者の交流が記載している条を抜き出してみたい。
(1915年)12月12日 新渡戸家で開かれた第三七回郷土会に参加し、報告者の都合が悪く、出席者全員が短い話をすることになり、「墓の上に樹を植える風俗」の話をする。(中略)尾佐竹猛や中山太郎の犯罪の地方的特色についての話(中略)を聞く。(後略)
(1920年)11月26日 永楽倶楽部で開かれた第二二回『同人』小集の集まりに、岡村千秋、松宮春一郎、尾佐竹猛や弟の(松岡)静雄らと共に参加す
る。(後略)
(1922年)1月27日 東京駅前工業倶楽部において三金会と合同の同人小集が開かれ、「柳田国男君歓迎会」と題した帰国報告会で「チョコレート趣味」について話す。(中略)内田魯庵、幣原担、尾佐竹猛、安藤正次、岡村千秋、桑木厳翼、中山太郎、外山且正、松宮春一郎、増田正雄や(松岡)静
雄ら三七人が出席する。
(1922年)2月24日 (前略)夜、本郷四丁目の蕪楽軒において第三六回『同人』小集が開かれ、(中略)中山太郎、松宮春一郎、尾佐竹猛らが出席。
『同人』は大野若三郎という人物が編集していた雑誌である。この雑誌は国会図書館デジコレで欠号があるものの閲覧することができるが、論文よりも随筆が多く載せられている雑誌という印象を受ける。柳田がこの雑誌に参加していたことは谷沢永一「柳田国男と同人小集」(青山毅、浦西和彦編『谷沢永一書誌学研叢』(日外アソシエーツ、1986年))で紹介されているが、同じ会に尾佐竹も参加しており『同人』は両者の接点の1つであった。
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