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雑誌『郷土風景』の編集・谷川要史と主宰・久米龍川は同一人物?
先日、以下の記事に追記したようにTwitterで雑誌『郷土風景』、『汎岡山』の出版に関係していた谷川要史と久米龍川が同一人物ではないかという情報を見つけた。
その後、ある方に『岡山人名事典』岡山人名事典刊行会(日本文教出版, 1978年)に谷川要史が立項されているとご教示いただいた。谷川は以下のように記述されている。
たにがわようし 谷川要史(1901~1965・明治34~昭和40)『汎岡山』発行者。明治34年、久米郡龍川村(現、久米南町)に生れる。本名要治。大正15年12月より岡山県出身の東京在住者を中心に、県外在住者の連結誌『汎岡山』の発行をはじめた。名も要史、あるいは出身地名をとって久米龍川と称し、昭和40年3月まで精力的に刊行をつづけた。郷土の先人の顕彰と、郷土史の紹介に心がけ、『稲垣平衛伝』『中川横太郎伝』などの単行本を著している。昭和40年4月21日没。年65。
上記から谷川要史と久米龍川が同一人物であったことが分かる。この情報を久米が主宰をしていた『郷土風景』から裏付けてみたい。『郷土風景』第2巻 第1号(郷土風景社, 1933年)に掲載されている「全国玩具蒐集家名簿(一)」に久米の名前があるが、住所は「東京市大森区入新井町六丁目一四九〇」となっている。以下の記事でも紹介したが、谷川の住所は『郷土史家名簿』(日本経済史研究所, 1934年)で「東京市大森区入新井六の一四九〇」となっている。以上から両者の住所は一致しているため同一人物であるということが分かる。この住所は、『汎岡山』の発行所である岡山県人社の住所と『郷土風景』の発行所である郷土風景社の住所とおおむね一致している。これらの雑誌は、久米龍川=谷川要史の自宅で編集、発行されていたのだろう。
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