日付のある記録 読書会の資料を公開するー『身ぶりとしての抵抗』鶴見俊輔のメモ⑤
0. 読書会記録
先日の以下の読書会で使用した資料を公開する。もう少し編集して出すことも考えたが、読書会の雰囲気が少しでも伝わればと思いあえてそのままにした。次回の開催日も決定したので、この読書会の様子が少しでも伝われば幸いである。
1. 鶴見俊輔
1922年 後藤新平、鶴見祐輔と続く政治家(華族)の家に生れる。中学校を3回退学した後に渡米、1939年にハーヴァード大学哲学科に入学、プラグマティズムの哲学を専攻
1942年 日米交換船で帰国
1943年 海軍軍属としてジャカルタへ
1946年 雑誌『思想の科学』を刊行
1954年 転向研究開始 ※転向・・・昭和前期までマルクス主義や自由主義を主張していた人々が1930年代に国家主義に鞍替えした現象のこと。戦後は再びマルクス主義、アメリカ流の自由主義に戻ってきた。
1960年 安保反対運動、「声なき声の会」
1963年 むすびの家建設の動きがはじまる。
1965年 べ平連
1969年 雑誌『朝鮮人』を発行
1972年 メキシコのエル・コレヒオ・デ・メヒコ東洋研究センターで客員教授
1979年 カナダ、モントリオール・マッギル大学で連続講義
1992年 『もうろく帖』をつけはじめる。
2015年 死去
(『鶴見俊輔伝』黒川創(新潮社、2018年)を参考に作成)
※「貴種からの逃避」が鶴見の思想のキーワードのひとつ(『鶴見俊輔と希望の社会学』原田達(世界思想社、2001年))
※思想=観念的なものだけでなく、行動、習慣、身振りと手振り、反射、好みの問題、語り口なども含む。思想以前の思想
※日常の思想(=自分の身の周り、生活を基盤にして物事を考える)に近いが日常への没入、収束することなく、日常の中に外と接続する回路を持つ、日常を揺さぶるような工夫。≒吉本隆明の「井の中の蛙」、花森安治の「味噌汁民主主義」
(前略)井の中の蛙は、井の外に虚像をもつかぎりは、井の中にあるが、井の外に虚像をもたなければ、井の中にあること自体が、井の外とつながっている、という方法を択びたいとおもう。これは誤りであるかもしれぬ(中略)その疑念よりも、井の中の蛙でしかありえない、大衆それ自体の思想と生活の重量のほうが、すこしく重く感ぜられる。(後略) (『吉本隆明全集7 1962~1964』(晶文社)収録の「日本のナショナリズム」より)
→鶴見にも影響を与えた。
「花森安治と戦後民主主義の文化政治」葛西弘隆 『津田塾大学紀要』50号(2018年)
→日常を自明の前提としていないことが鶴見の特色であると考えている。1950年前半以降の大衆文化研究、ハンセン病の療養所との交流、人々の伝記の作成(『民衆の座』思想の科学研究会編(河出書房, 1955年)として出版)などを通して形成?初期の方はプラグマティズムの哲学の紹介、言語の問題(日本語改良、学術用語簡易化、ローマ字普及などの運動 『鶴見俊輔伝』黒川創(新潮社、2018年))
→人々の間に根付いている思想、日本の人々の伝統の発見(≒柳田国男)、自分と違う人々との交流
※文化資本から見た鶴見の立ち位置
図は「メディア知識人を典型とする煽動行為者の範囲から見る人間類型 : 承認欲求と界の戦略との関係」松井勇起(『図書館情報メディア研究』16(1)より引用
文化資本、学歴資本に基づいた区分(プルデューの言説が背景にあり)
正系・・・丸山眞男
正系的傍系・・・清水幾太郎
傍系・・・鶴見俊輔
傍系的傍系・・・吉本隆明
『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』竹内洋(中公新書, 2003年)、『清水幾太郎の覇権と忘却 メディアと知識人』竹内洋(中央公論新社, 2012年) など
2. 『身ぶりとしての抵抗』
身ぶりとしての抵抗=激しい抵抗でなくゆるやかな抵抗、非日常的な抵抗でなく日常でできる抵抗、言葉や思想による抵抗でなく非言語的な抵抗
P11 わたしのなかの根拠(章題)
→身の周りに継続的な活動の根を求める。(単純なもの、小さなものも重くみる。)
P12 固いデモとやわらかいデモ
「敗戦当夜、食事をする気力もなくなった男は多くいた。しかし、夕食をととのえない女性がいただろうか。他の日と同じく女性は、食事をととのえた。この無言の姿勢の中に、平和運動の根がある。」
≒『この世界の片隅に』の敗戦の夜に家の灯りがともるシーンを連想
→理想的なもの、イデオロギー的なものの脆弱性、持続するということ
P16 政治の接している今の場所
→デモでもなく演説するでもなく
→日常の場を政治的な場として捉えなおす。
「方法としてのアナキズム」
P17 権力による強制なしに人間がたがいに助けあって生きてゆくことを理想とする思想
→理想的な状態であると鶴見は考えていたと思われる。
P18 理想とその反転としてのテロリズム(全共闘を念頭に?)
P19 静かなアナキズム(日常に埋没することなく抵抗的にするにはどうしたらよいか?)
P20 個人のパースナリティー、集団の人間関係、無意識の習慣をふくめたアナキズム
→日本の人々の歴史の中に見つけるという思想≒ジョージ・オーウェル「郷土主義(ペイトリオティズム)」
→国家主義に対峙する思想、コンビニの話(四方の感覚)『日本人は何を捨ててきたのか』鶴見俊輔・関川夏央(ちくま学芸文庫, 2015年)
P21 ドン・ファン→文明以前のものへのまなざし。文明の中の文明以前。
→同質・画一化された世界の中の異物
P24 薬草による離脱と万能感を抑える方法→内省すること
「変容可能性」『思想の不良たち―1950年代 もう一つの精神史』上野俊哉(岩波書店, 2013年)
→結構スピリチュアルな部分も。ウィリアム・ブレイク→柳宗悦→鶴見俊輔、プラグマティズムの哲学(ジェイムズ、サンタヤナなど)、大正時代の教養基盤(白樺派)
※鶴見の家(鶴見祐輔)は大正時代の作家が頻繁に出入りしていた。
P29 持久力のある抵抗
→鶴見の思想のキーワードのひとつ。流行や大勢に流されない抵抗の拠点
P33 ソローへの評価
→シンプルな生活、自給自足
P41 革命をはじめたが、後に批判するようになったクロポトキン
P45 鶴見さんの宿題
→日常に埋没しないアナキズム、集権化しないアナキズム
P49 古山高麗雄→はしごから外れた人物、戦争体験を問い続ける
P53 出発点はあいまいに→明確な基準を定めない。
P57 大勢に流されない伝統はあるのか?
→懐疑的な保守主義の伝統は薄いけれども。。。「右であれ左であれ、わが祖国」
P59 私的な判断と公的な判断→私的な判断の重要性
P63 東日本大震災後の文章、「敗北力」≒受け身の想像力
P65 大江満雄、コンスタンティン・トロチェフ
→ハンセン病の療養所との交流
P67 矢島良一の受け入れる判断(ゆるやかな状況判断)
P72 朝鮮神宮に反対した保守主義者・葦津耕次郎の判断、大倭教団のおおらかさ
→開かれた日本の伝統⇔閉鎖的な形式化した伝統
P74 石川三四郎、大江満雄の交流
雪の夜 詩集『海峡』大江満雄より
冬が
大地に栄養を あたえているのだ
闇の麦畑に
雪がつもっている
ぼくらは
重い病気から 健康をつくらねばならぬ
戦争による
飢えのなかから
冷酷な現実の
悲惨な現実の
絶望のなかから
栄養をとらねばならぬ
海のなかから
薬をとらねばならぬ
“憎悪を昇化せよ”
ぼくは
千万のブドウの葉をはった障子の
すきまから やってくる北風という 看護婦をむかえている
雪の夜という医者を むかえている。
あけぼのの翼をかりて
わたしは
あけぼのの翼をかりて
海のはたてへ にげてゆきたい
あなたは
きっと両手で わたしの手をにぎり
からだを ささえてくださるに ちがいない。
あなたは わたしが 夜 あの海のはたての氷島で 目をみはるとき
ささやいてくださるに ちがいない。
あなたは わたしに
世界のこんとん 悪の悪の深みから飛び立つ力を
あたえてくださるに ちがいない。
あなたは わたしの心に
あの二つの相反した顔をもった異形のローマの古神マヌスよりも
すばらしい転換力を あたえてくださるに ちがいない。
あなたは わたしに
ふたたび海のはてから あけぼのの翼をかりて
かれらの前に立つ力を きっと あたえてくださるにちがいない。
大江満雄は戦争を支持していたが、反省。戦後の再出発点を模索していた。ハンセン病の詩人たちとの交流=自分の思想的な根拠の立て直し、反省 『来者の群像―大江満雄とハンセン病療養所の詩人たち』木村哲也さん(水平線, 2017年)
→詩作を通じた交流が後のハンセン病に関する社会運動の基盤にもなった。
石川三四郎・・・アナキズム、社会運動に関わったが、ラディカルではなかった。それゆえにアナキズムの系譜の中で目立たないが、戦時中に転向しなかった。土着から出発するアナキズムや思想。鶴見俊輔に大きな影響を与えた。
P78 めだかの学校
→先生/学生の区分なくお互いが教え学びえる学校≒シドック(メキシコ)、イリイチの設立した学校
P79 むすびの家 現在も継続
P83 企業の中でも抵抗を続ける。≒日銀の中で戦争体験を問い続けた吉田満
吉田満・・・戦艦大和での経験を書いた『戦艦大和の最期』が知られている。戦後日銀に就職してトップ近くまでいったが、戦争体験を手放さなかった。(日銀≒戦後の戦艦大和)大勢や流行のただ中でゆるやかな抵抗を続ける。
P88 国際的⇔民際的・・・肩書や所属を無視した個人同士の交流
P94 志樹逸馬が光田健輔を批判しなかった。
P103 杉山龍丸という人物→べ平連を支持する保守、党派性を越える人物
P117 病でアジアに接続する 大江満雄
→病を開かれたものと考え交際のきっかけに
P124 記憶の中にとどめるという問題
老いへの視野
→思想を鞍替えする言論人、まちがえた記憶を保ち続ける。
→『もうろく帖』を付ける。「細部の枝葉が落ちていき、大ざっぱな幹の部分が、姿を現してくるように」(『鶴見俊輔伝』)
P133 志樹逸馬がタゴールの影響を受けた。
→時代の主流から外れた場所にタゴールの詩集があった。
※インドの詩人・タゴールはノーベル文学賞を受賞して来日時は大きな話題となったが、後に日本の帝国主義的な性格を批判したため後に読まれなくなった。
P136 スティーヴンスンと吉田寅次郎
→近代以前の個人、1905年~文明の樽の中に(『日本人は何を捨ててきたのか』)
P155 日付を帯びた行動(章題)
→「回顧の次元」・・・結果が分かった現在の立場から振り返る。
「期待の次元」・・・結果が分からない当時の立場から振り返る。
常に未完である過去の経験
→期待の次元での経験の編集可能性。同じ経験から別の可能性を引き出す。「ありえたかもしれない」という立場。
鶴見 (前略)日付のある判断が、かえって未来を開くという逆説的な関係があるんだ。日付のある判断というのは、これが当時の限界だったと評価するんじゃなくて、ここでこれだけ考えられたのか、と考える。そうしたら今度は、その後に進んだのと別の可能性や方向があったんじゃないか、と考えられるわけでしょう。その後に実現した一つのものが、進歩とは限らないわけで、もっと別の可能性があったということがわかる。そうでなきゃ、思想史とは言えないんだよね。(後略)(新曜社『戦争が遺したもの―鶴見俊輔に戦後世代が聞く』鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二より)
P162 小林トミさん 「声なき声の会」
チャプター7に60年安保の鶴見俊輔の回想
※60年安保の批判的な評価→忙しい時に何をやっているのか?、制服がもったいないという意見、進学できなかった警備員に威張り散らすインテリ(『宮本常一著作集2』より)
P172 まちがえたという記憶
P173 異質なものとの連帯
P176 しゃべること
→えらそうな演説でなく雑談からの連帯。ご近所付き合いから外へ。
P181 代案主義の罠 いつのまにか形式や権力に回収されてしまう。
P185 肉体の反射とバネ
→思想をその人の語り口、態度、反射まで幅広く考える。1番その人に根付いているもの。
P191 非暴力一本は関心しない。
→論理や価値体系の一本化=そこに依拠する人々以外を排除、内部でも圧迫
P208 本物とニセもの
P213 年下から学ぶということ
P220 暮らしを優先させる社会運動
→家事のため会合の途中で帰宅する鶴見俊輔(加藤典洋の話?)
P224 よそ者に寛容な京都→人々の中の開かれた伝統
P226 記憶を保ち続ける
P227 ジョン万次郎→近代以前の個人
漂流者となったが、鶴見俊輔の理想の投影?(出自からの離脱、戦中の軍隊から脱走できなかったことへの反省)
P228 小田実→演説でもぼそぼそしゃべる様子で信用
3. 論点
・いろいろな文章を再読して思ったのが、鶴見俊輔は結構ラディカルでは?ということ→日常や自分の身の周りに思想の根拠を求めるが、その場を疑い意図的に底抜けさせようとする思想。日常に異物を取り込んで揺さぶり続ける。
→良い意味での反知性主義
・日常の思想の問題は自分のいる場所にいながら外に接続するということ。
→日常の中に失墜しないためにはどうすればよいか?
・日常の思想の状況追随
→現状維持、現状肯定になってしまわないようにするには?
以上
読書会当日に回答しきれなかった質問への応答