以下の記事で愛知県岡崎市で活動していた岡崎趣味会について簡単に紹介したが、その後、川口勝俊『蔵書票 関係資料あれこれ―岡崎趣味会と蔵書票の活動』(平成19年)を入手できた。この本では、岡崎趣味会の活動が丹念に調べられており、岡崎趣味会と全国の趣味人の交流が紹介されている。貴重な本であるようなので、書影を写真で載せておきたい。なお、この本については別途紹介したい。
この本では岡崎趣味会は以下のように紹介されている。
岡崎趣味会は蒐集趣味、好古趣味、郷土研究に関心のある人びと集った団体であったことがわかる。上記に登場する稲垣豆人、松井菅甲は以下のように述べられている。
上記引用部分では稲垣の没年は不明となっているが、没年は1942年11月11日ということが雑誌『鯛車』で確認できる。両者が岡崎趣味会のキーマンであったようだ。
先日、この本の中で紹介されていない岡崎趣味会の活動が斎藤昌三、加山可山が編集していた趣味誌『おいら』五度目十一月号(大正9年)に掲載されているのを発見した。私が読んだのは復刻版である『斎藤昌三編集『おいら』→『いもづる』―郷土研究的趣味雑誌の1920~1941年』(金沢文圃閣、2022年)であるが、その部分を以下に引用してみたい。
稲垣は岡崎を訪れた柳田国男と面会し、松井は柳田の影響を受けて汲古会講演会を開いたという。『柳田國男全集』別巻1(筑摩書房、2019年)の年譜を確認すると、大正9年10月23日、26日の条に以下のような記述があった。
10月23日から26日にかけて柳田は岡崎に滞在しており、その期間に稲垣と会ったようである。岡崎趣味会の他のメンバーとも交流があったのだろうか。
岡崎趣味会は郷土、土俗関連も蒐集、研究の対象の一つであったので、民俗学、郷土研究を普及しようとする柳田は講演を行ったのであろう。柳田が趣味とは一定の距離を取り、民俗学を趣味と切り分けることを強く意識していたことはよく知られている。しかしながら、まだ学問領域として成立していなかった民俗学を地域へ広めるため、岡崎趣味会のような趣味の集まりにも期待していたように思われる。そして上述のように松井は柳田の影響を受けて汲古会講演会を開催したので、柳田の訪問は一定の効果があった。柳田と岡崎趣味会の接触は民俗学成立以後では見え辛くなった柳田と趣味人、趣味団体とのゆるいつながりの一例と言えるだろう。