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澤田四郎作の『五倍子執筆目録』に挟まってた人形作家・布士冨美子宛書簡

 先日、以下の記事で紹介した澤田四郎作の『五倍子執筆目録』を紹介したが、私の購入した本には澤田の書簡と書き込みがあった。今回の記事ではこの書簡を紹介していきたい。書簡の写真を以下に掲載しておきたい。

布士富美子宛書簡①
布士富美子宛書簡②
拝復
お手紙ありがたく存じました ソ連に御招待
されていらっしゃったヿ(こと)は吉田の奥さんから承ってゐました。
私も十月の十三、十四日にかけて東京に出かけ、日本民俗学年会に出て、久々に橋浦大老にもお目にかゝって参りました。柳田先生の奥様が病気で御入院せられるとかで、お訪ねせずに帰って参りましたが、その後お元気になられてゐる由御宅からお知らせをうけました。
今春、小冊子を作る心おきて、原稿を作りましたが多忙と印刷所の都合で、大変おくれ、九月の終りに漸く手元にとゞきました。記念のため一冊呈上いたします。あやしき一句は五月に出す予定の折作った句ですので、季節外れで、これは春の心境です。
又そのうち、いろ/\のあちらの話を承りたく
存じますが、とりあえず消息かねて
十月二十二日早朝、けふは親戚の娘の結婚式に出かけるところです
沢田四郎作
布士富美子様

澤田から布士富美子へ送付された書簡である。布士は人形作家であった人物である。『五倍子執筆目録』が発行されたのは1967年であるので、1967年10月ごろに澤田から布士へ『五倍子執筆目録』を送付した時に一緒に送付されたものだと思われる。この書簡からこの本が1967年秋ごろに出版されたと分かった。磯部敦先生によれば、『五倍子執筆目録』のもとになった原本が大阪大谷大学の澤田文庫に所蔵されており、この原本によると、『五倍子執筆目録』は1967年9月30日の発行であるという。

 布士については少し調べたがよく分からなかった。上記の書簡の中に柳田国男、橋浦泰雄(橋浦大老)の名前が登場することから両者は布士の知人であったのだろう。布士と澤田がいつごろ、どのように知り合ったのかも興味深い。澤田は民俗学関連の人脈だけでなく、大阪の趣味人・文化人との人脈もあったので、おそらくどちらかで知り合ったと思われる。

 最後に私の持っている『五倍子執筆目録』は表紙に書かれていた澤田の俳句を紹介したい。この俳句が上記の書簡に登場するものである。

へろ/\の 虫喰いのあと 衣替え

<御礼>
今回、澤田の書簡の解読にあたって磯部敦先生、草の根研究会古文書部会の皆様にご協力いただきました。この場を借りてあらためて御礼を申し上げます。

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