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集古会の会員だった南方熊楠の高弟・上松蓊―すごすぎる『昭和前期蒐書家リスト』より②

 以下の記事でも紹介したように、『昭和前期蒐書家リスト 趣味人・在野研究者・学者4500人』(編集:トム・リバーフィールド、監修・解説:書物蔵, 2019年)は眺めているだけでおもしろいが、今回眺めていて私にとって新しい発見があった。

この本には、南方熊楠の粘菌研究の高弟である上松蓊(しげる)の名前も登場する。本の中では、上松の名前の典拠は「1935千里」、「1938古通」とされており、引用されている本の正式な書名はそれぞれ『千里組織』(1935年)、『日本蒐書家名簿』(1938年)である。ここで注目したいのは、前者の『千里組織』である。『昭和前期蒐書家リスト』の解説によると、『千里組織』は昭和10年(1935年)当時の集古会の会員名簿であるという。つまり、上松蓊はこの当時集古会に所属していたことが分かる。集古会は1896年に結成された歴史、考古、(当時の呼び方で)土俗を愛好する趣味人の集まりであり、様々な人々が所属していた。以下のウェブページによると、集古会の中には、蒐集品によっていくつかなグループが存在していたという。『昭和前期蒐書家リスト』には、上松の蒐集分野は「生物学の一端」であると記載されているが、生物学関連の古物を蒐集しているグループもあったのだろうか?

 ところで、『千里組織』、『日本蒐書家名簿』に登場する上松蓊は同一人物なのか?という疑問がわいてくるかもしれないが、当時住んでいた住所が同じであるため同一人物に間違いないだろう。『千里組織』、『日本蒐書家名簿』でも上松の蒐集分野もほとんど同じであるが、『日本蒐書家名簿』には上松の蒐集分野のひとつに「世界の毒蛇」がある。上松は粘菌意外にも関心を持っていたようである。

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