見出し画像

高知の民俗学研究者・桂井和雄と郷土玩具蒐集家

 以下の記事で柳田国男と深い交流のあった高知の民俗学研究者・桂井和雄のことを紹介した。桂井は柳田の民俗学を地域で実践した研究者であり柳田に近かったので、柳田が批判的に捉えていた趣味人と交流がないのではないかと考えていた。

 しかしながら、先日有坂與太郎(当時の大物郷土玩具蒐集家・研究者)が編集していた郷土玩具趣味誌『鯛車』を読んでいた際に高知県の郷土玩具をめぐって桂井と彼と同じく高知の研究者であった橋詰延寿の記事が出ているのを発見した。『鯛車』第32号(昭和15年8月)には「坊さん簪(かんざし)の興廃」という記事があり、ここに桂井と橋詰が登場する。桂井は「弘瀬尋常小学校校長」、橋詰は「高知市女子高等小学校訓導」と紹介されている。この記事は昭和15年6月21日に高知新聞主催で開催された郷土玩具を語る座談会を文章化したものである。この座談会には有坂も同席している。

 この座談会では高知の郷土玩具である坊さん簪を廃止すべきかの議論が行われている。以下のWebページ(注1)によれば、坊さん簪は「土佐民謡ヨサコイ節にうたわれている、竹林寺の若い僧純信と鋳掛屋の娘お馬のロマンスを題材にした張子」であるという。

 この坊さん簪をめぐって有坂は卑猥で教育上よくないので廃絶すべきと主張しており、桂井、橋詰は坊さん簪に好意的である。この違いは東京から来た有坂と高知に住み地元の文化を保存、玩具も資料として活用しようとする桂井、橋詰の立場の違いから来るものと考えられる。

 ここで興味深いのは、郷土玩具を愛好しているはずの有坂が坊さん簪の廃絶を唱えている点である。この座談会が行われたのは昭和15年で翌年には日米間の戦争を控える非常時であるが、この非常時における風紀の乱れを有坂は懸念していたと考えられる。国家主義のもとでは郷土玩具はそれを翼賛するツールの1つとみなされ、当時の趣味誌でも郷土玩具の保存や普及を通した戦争協力についての主張が見られる。ただ、今回の有坂のような逆の意見もあったようだ。

 そして坊さん簪を擁護したのが趣味人・趣味品から距離を置いていた(ように見える)柳田と深い交流のあった桂井というのも興味深い。拙noteでは以下の記事のように民俗学に軸足を置きながらも郷土玩具の蒐集・研究を行なっていた人物として梅林新市小谷方明を紹介したことがあるが、桂井の郷土玩具へのまなざしも少なくとも否定的なものではなかったのではないだろうか。桂井と郷土玩具、その蒐集家との関わりは他にあったのかは気になるところだ。

(注1)日本土鈴館のブログ:http://blog.nihondorei.com/?eid=547#gsc.tab=0より引用。残念ながら日本土鈴館が閉館済みのため記録としてURLも記載しておく。

よろしければサポートをよろしくお願いいたします。サポートは、研究や調査を進める際に必要な資料、書籍、論文の購入費用にさせていただきます。